剛力彩芽の商品戦略

昔、道路公団関係の仕事をしていた頃、同僚に「車って『ふつうの』か『パジェロみたいなの』の区別しかつかない」という子がいてオイオイと思ったものだが、アイドルの顔の見分けが付かない私に他人のことは言えた義理ではないのであった。さすがに『男』か『女』かくらいの区別はつくけどね。まぁ中吊りポスターで板野友美を見たときにキムタクの女装だと思ったこともあったけど。あと、平成『ガメラ』1作目のヒロインと野茂英雄も同じに見える。
という前振りからユニセクシャルの話。
ゴーリキさんをゴーリキさんと知っていて1分以上見たのは先日の『黒執事』が初めてで、「巷で叩かれているほどには酷いとも思わないが、ゴリ押しで露出を増やせば人気が出てくるようなポテンシャルも感じられない」ってのが正直なとこなのね。……そうそう、あえて書かなかったけど『黒執事』で観る限り水嶋ヒロには岸田森の路線へ行けるポテンシャルがあると思う。
なのに何故、事務所はゴリ押しするのか、どういう戦略があるのか、剛力彩芽をどういう商品と位置付けているのか?
黒執事』で思ったのは、事務所はひょっとして「さばさばした性格のユニセクシャル風味、だけど女性的な可愛げも併せ持つ」がセールスポイントと設計しているのかな? ということだった。いわゆる「フェロモン女優」(死語だね)ではマーケットに見込めるのは男だけ、「AKB路線」はアイドルオタというマーケットを見込めるし、女児層へのアピールもあるがその外に中々広がらない。「ファッションモデル〜読モ路線」は逆に女性層にリーチするが男性層には届かない。
「だったらユニセクシャルでどうよ?」という。
「男性層にも十分目配りをするが『男に媚びを売らない』路線で同世代の女性の支持も得られるようにする。これでじゃんじゃかメディア露出させれば幅広く老若男女に受け入れられて『国民的アイドル』に育つぜー」みたいな計算があるんじゃないだろか? 思惑はともかく、結果だけみてもどうやらユニセクシャル(風味)で売りたいらしい。……いや、「結果だけみても」というかなんというか、その結果の「ズレ」がちょっと面白くなってきた。
黒執事』の場合、「ユニセクシャルで売り出すために原作では美少年であるキャラクターを演じさせた」。そこまではマァいい(原作ファンには大問題だろうけど)。だけどね、オタ的感性でいったらさ、「演じているのは女だけど美少年なんですよー」で突っ切るところじゃん。ところが、「冒頭で女装しているけど実は坊ちゃまだけど実は女です」という実に何とも煮え切れないキャラにしてしまっている。「やっぱりヘテロなラブストーリーでないと売り物になんないよね」みたいなつまんない抑制が働いて、それで結局誰も観に行かない映画になっちゃったんじゃなかろうか?
そういう認識から遡って推測すると可笑しいのが『ビブリア』で、ひょっとすると、あのヒロインをユニセクシャルの類型だと認識しちゃったエライ人がいるのではなかろうか。「男に媚びを売らないけど男勝りでもない。こういう女をユニセクシャルっていうんだよね」的な。そうとでも考えないと、ゴーリキさんを起用したorゴーリキさんを売るための原作として採用した理由がわかんないのよね。いやまあ未見&原作未読だからどの道よくわかんないけど(長々と書いてきてこれがオチか)。