国際基督教大学公開講座「ICUキャンパス前史 -中島飛行機三鷹研究所-」

「映画にするなら堀越二郎より糸川英夫か中島知久平!」(あいさつ) というわけで、12日に国際基督教大学(以下ICU)・湯浅八郎記念館で行われた公開講座を聴講してきた。テーマは「ICUキャンパス前史 -中島飛行機三鷹研究所-」、講師はICU高校の先生・高柳昌久氏。

ICUのキャンパスは、戦時中には中島飛行機三鷹研究所だった敷地の一部。この公開講座は、中島飛行機の成立の解説から始まり、三鷹研究所設立の目的、用地買収の過程、どのような建築・施設が作られ、何が現存しているかといった話題から、三鷹研究所で研究開発されていたものとして「富嶽」のエンジン・ハ54や「特攻機」キ115などまで詳しく解説した非常に濃密なものでした。

戦後、研究所の跡地をICUが買収しようとしたが、いつの間にやら周辺住民に開墾されていたという。それが農地改革に便乗して(って言っていいよねえ)耕作者が権利を主張、三鷹町農地委員会もそれを支持したため買収はひと苦労だったそうな。東武熊谷線の複線化用地にも、耕地とされてしまったのを黙認した、というケースがありましたが、あれもこれと同様に農地改革のドサクサだったのかもしれません。

戦争の記憶を武蔵野にたずねて 増補版

戦争の記憶を武蔵野にたずねて 増補版

講座終了後に受付で買い求めた、高柳氏らがかつて執筆した武蔵野の戦争遺跡の本。この日の講座のテーマだった元・中島飛行機三鷹研究所(ICUのキャンパス及び富士重工東京事業所)については17ページをかけて詳しく書かれている。


このICU大学本館はかつての研究本館を転用したもので、講座では竣工当時の画像だけでなく、どのフロアに何の部署が入っていたかまで解説。青写真には「機銃台」「航空見測室」まであって、日中戦争は既に始まっていたものの対米開戦はまだだった1940年に既に空襲を意識していたというあたりが興味深かったです。この本の中で、中島飛行機の設計技師だった青木邦弘氏は「「剣」は特攻専用機ではなかった」と回想していて、私も「マァ当人が言うならそうなんだろう」と思っていたのですが、当時の軍が作成した「20年度特攻兵器整備表」という一覧にはバッチリと載っておりました。ていうか筆頭扱いで、なんというかけっこう期待されていたようです……。戦後に防衛庁が作成した『戦史叢書』でも「中島から提案された特攻専用の機体」扱い。仮に青木氏が言うように「主脚は離陸後に投棄するが胴体着陸で帰還できるような設計にしていた」としても、審査官の高島亮一氏の評価は「胴体着陸を行った場合1/3は軽傷、1/3は重傷、1/3は死亡」だったそうで、いやはや。