三保の松原からの富士山

世界遺産登録を記念して、ちょっと三保の松原からの富士山を見に行ってきた。

左右逆だけど気にするな。出かけたと言っても三保の松原でなく小金井、江戸東京たてもの園に保存されている銭湯・子宝湯です。


まぁ世界遺産の話題に絡めて銭湯の富士山、なんてのは誰もが考えるネタで、『東京人』あたりが「今も富士山が見られる銭湯ガイド」とかやるんじゃないかね?




こちらは昔撮った富士塚の写真(金町の葛西神社、品川の品川神社)。富士塚はそれなりに研究され、本も色々と出ていますが、いま現在の富士講がどうなっているかも気になるところ。自然遺産でなく文化遺産のカテゴリ、信仰の対象としての富士山が世界遺産になったのだから、富士講の現状もこの際整理して欲しいね。これまた『東京人』がやりそうなネタだけど。


穴あきブロックとか、写真は無いけど商業建築のファサードにも富士山のシルエットを描いたものがあるので(祖師ヶ谷大蔵駅近くに昔あったのよ)、そこらへんもまとまった形でみたいものだ。

そうそう、昔といえば「富士」というブルートレインがありまして。いっとき日本一長い距離を走る列車だったから日本一の富士だろう、と何にも疑問を抱かなかったのですが、西鹿児島行の列車が「富士」というのは考えてみれば不思議な話。ひょっとするとあれは逆の発想だったのかもしれません。東京から西鹿児島に下る列車ではなく、西鹿児島から東京に向かう列車。クマソが統べる土地を発ってヤマトへ、さらに東へ向かう列車という発想で、だから東国の象徴というべき「富士」という名を付けた、という推測はどうだろう(あえて確かめない)。