行方不明の「蒸発」

行方不明の意味の「蒸発」は、昨今あまり使われない気がする。そのうちちゃんと調べてみるとして、以下は大ざっぱに調べた結果と大ざっぱな推測。

この言葉が誕生し、普及したのは1965年頃から。以前、大宅文庫に行ったときについでで検索した。1965年から登場頻度が増えているというだけでなく、1967年の雑誌に「蒸発という新種の事件」と題された記事があるからマァ間違いない。ただ、この頃は記憶喪失症がまだ広く一般に認知されてなかったようで、記事を読むと記憶喪失が蒸発の原因だという話にボリュームが割かれていたりします。

蒸発事件を題材にした『ウルトラQ』の「あけてくれ!」も、製作は1966年。ただ、確かこの回には「蒸発」という言葉は出てこなかったような……。そのうち調べてみます。

同じ円谷プロの作品で1968年の『怪奇大作戦』「氷の死刑台」も蒸発事件が題材。こちらについてはマンガ版を所有しており、「どうです、1日だけ蒸発してみませんか」「蒸発!? 面白そうですね」という会話が確認できました(TV版ではどうかは失念)。

60年代後半ではまだ新語扱い、時代を象徴する事件のように言われていた「蒸発」でしたが、次第に定着したとみられます。このあたりから先はほとんど憶測。

1989年に起きた坂本弁護士一家行方不明事件については、たぶんまだ蒸発といっていた。なんせ警察が「「事件性なし」として、捜査を行わなかった」のだから(ウィキペディア坂本堤弁護士一家殺害事件」による)。一家そろって行方不明になって、それが事件でないというなら蒸発というほかないでしょう。

それはそれとして1991年、大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫の教育係だった「李恩恵」が、1978年に蒸発した田口八重子さんだとわかった。蒸発という言葉の使用が控えられるようになったのは、この頃じゃないですかね? 原因もわからず事故ともみられず、ふいと突然人ひとりがいなくなったとしたら、それはやはり悪意ある何者かの犯行なのだと。
人間は、水のように蒸発したりはしない。誘拐されたか……、そうでないとしても何かしら理由があって自ら失踪したのだと、人々は気付き始めた。

いかなる偶然か、同じ1991年に若人あきら(現・我修院達也)失踪事件が起きてします。釣りの際に転落し、命に別状はなかったもののシマ性健忘症により帰るべき場所がわからなくなった、というケース。蒸発事件が実は事故だった、というわけです。

そして1995年。地下鉄サリン事件を経て、坂本弁護士一家はオウム真理教の一団に誘拐され、殺害されたのだと判明する。となれば「蒸発」などではない。恐るべき誘拐殺人事件だ。

こうした経緯があって、事件を霧の向こうに隠すような、無かったものにしてしまうような「蒸発」という言葉は使われなくなり、「行方不明」あるいは「失踪」と言われるようになった……。

こんな仮説というか憶測を繰り広げてみた。まずは「蒸発」の登場頻度について、時を経ての変化を調べるところから始めないと、これが合っているかどうかわからないわけですが、時代の節目の捉え方としては大体こんな感じじゃないですかね。