五日市憲法

五日市憲法なるものについて私は全然知らなかったのですが、何かの拍子でたまたまyahoo知恵袋の以下の質問を目にしたのでした。

五日市憲法案に「国帝」という語句がありますが、1881年起草というのなら、この時代に「国帝」という表記が合ったのですか。疑問です。明治政府で言えば「大帝」や「天皇」が一般に用いられていたのではないか。
(略)
昭和43年に土蔵から発見されるまで眠っていたというのは、偽書ではないのですか。
(略)

私擬憲法に興味は無いが、偽書と疑われているというなら面白い……というわけで、先日中央図書館に行った折に資料を当たってみたんですが、結論から言うと「偽書だと積極的に疑う理由は全く無い」、でした。ちっ(何故舌打ち)。閉館間際だったので、『五日市憲法草案と深沢家文書』(あきる野市企画財政部企画課)一冊しか閲覧できなかったのですが、これだけで確信できました。

まず、この時代に「国帝」という表記があったのか? という疑問について。当時は「大帝」や「天皇」が一般に用いられていた、という理由で疑うのなら、有名な私擬憲法「嚶鳴社憲法草案」も疑わしいことになる。

第一篇 皇 帝
第一款 帝位相続
第一条 日本国ノ帝位ハ、神武天皇ノ正統タル今上皇帝陛下ノ皇裔ニ世伝
ス。其相続スル順次ハ必ズ左ノ条款ニ従フ。

と、これが「嚶鳴社憲法草案」の第一篇。こちらも大帝でも天皇でもない、「皇帝」になっています。つぶさに比較検討していないのですが、なんでも五日市憲法の第一篇はこれのパクr…これに大きな影響を受けているそうで、差別化として「皇帝」でなく「国帝」にしたんじゃないですかね。

また、「昭和43年に土蔵から発見されるまで眠っていたのは不自然では」という件。これはもう、「古文書にはそういうこともあるんだよ」としか言いようが無い。『五日市憲法草案と深沢家文書』には発見に至る過程も詳しく書かれており、あれが作り話ならば相当に手の込んだ詐欺といえるでしょう。発見した研究者・色川大吉も起草者・千葉卓三郎も素性のはっきりした人物で、あきる野市の地域史をみても私擬憲法が生まれる土壌があったと見ていい。
http://archives.library.akiruno.tokyo.jp/about/about02.html
まぁ、私の如きには「本物」だと断言などできませんが、やはり「偽書だと積極的に疑う理由は全く無い」とは言えます。