「ゆめのかよいじ」感想、画づくり編(バレ無し・原作比較無し)

原作未読者向けの穏当なのも書く、と言ったけれど誉めるとは言ってないので念のため。

一発目はストーリー抜きに映像の印象ですが、これ撮った人はどうも「見たいもの・見せたいもの」の幅が極端に狭いんじゃないかね? というのが率直な感想。でなけりゃとにかく、撮影上の制約が多かったんだろう(穏当な表現)。

まず木造校舎。主人公が幽霊少女と出会う場所であり、取り壊しか存続かが物語の柱となる重要な舞台……なのに、外観は2アングルしか映らない(別アングルも一応あるが、ごく短い1カットずつくらい)。そのアングルでないと余計なものが映ってしまうから、なんだろうけど、正面側が全く映らない(!)から全容が把握できないわ、生徒の出入りが映らないから現役校舎に見えないわ(小さい校門をくぐるといきなり教室)、はっきり言って魅力を感じない。

ロケ地はエンドロールによると「旧島田小学校」で、正面側も原型をとどめている模様。現在はレストランにリニューアルされたが、撮影当時はまだ再利用が決まっていない保存建築だったはずだ。何故あんな映像になった?

校舎外観に限らず、作品全体としてどうにもこう、「同じ場所の同じアングルばっかり」という印象が拭えない。しかも引いた画が少なく、そのうえビシッと固定されたフレーム&変化のない位置関係での会話を長めのカットでやる傾向があって、なんというか、全体に画面が窮屈で退屈だった。

草原が主要な舞台のひとつなのに季節の変化が伝わってこないとか(制服は途中で夏服から冬服に変わる)、校舎内で一番見栄えがいいのは講堂兼体育館なのにそこでは何も起きないとか、そういうあたりをみるに、そもそものロケーション選びのセンスがわr………センスが我とは相容れないようだ(穏当な表現)。

あとなぁ、「地図が描けていない」んだよね。画づくりの都合優先でポイントポイントで撮影場所を選んでいて、それぞれがどういう位置関係なんだか整理されていない。「田舎の高校なのにみんな徒歩通学」が気持ち悪いのは、それがリアルでないからというだけでなく、街のスケールとか、画面に映っていない街とかが感じられないからだ。だから生活感も無い。

なんといっても変なのがバス停で、何故か田園地帯の真ん中にポツンとある。おいおい、主人公が住んでるのは雁木のある家で、それはつまり家が連なって建ってる場所で、要するに市街なのに、バスはそこを避けて走ってるわけ?

バス停と雁木でもうひとつ、マクロな地図のことを言うと、「バス停のスタイルが、雁木のある地方のそれではない」。元は豪雪地帯で、仮に今はさほど積もらないにせよ厳冬の地でしょ。屋根と壁がある待合室が無きゃおかしい。これなら校舎と違って、撮影用に一から作るのだって楽勝だろう。撮影が終わったらバス会社に寄付すればいい。

小野川温泉うめや旅館』ブログ
「きまぐれ宿日記84/川西町 一本松 バス停留所
http://onsentamago.com/umeya/nikki/nikki84/nikki84.html
こういうの。いーかげんに画像検索してヒットしたURLなんだけど、画像もテキストもいいセンスしてる。

これって細かいことかな? 考証というレベルでなくてさ、もっと純粋な「その地方っぽいムード」の表現としてかくあるべきと思うんだけど。まして「古いもの・消えゆくものも、人が忘れない限り生き続けていられる」という映画なんだから、こうした細部に至るまで地方性(その地方に古くからあるもの)にこだわるのが当然じゃないかね。ここらへんからさぁ、「「見たいもの・見せたいもの」の幅が極端に狭いんじゃないか」と思わざるを得ないわけだ。

あぁいけねえ、書いてるうちに段々イラついて、不穏当になってる。ええと、主演女優(石橋杏奈)と指輪の魔法使い(白石隼也)はよかったです(土曜の23時まで「ゆめのかよいじ」を見て、寝て起きたら「仮面ライダーウィザード」というコンボを体験・笑)。

ただ、もうひとりの主演女優(竹富聖花)は、彼女自身の問題でなくてミスキャスト。顎の細い今風の美少女で、髪もブラウンがかっていて、それがなんで昭和20年代の女学生か。幽霊の神秘性・非現実性を見せるキャスティングだ〜とかいうつもりなんだろうけど、それ優先順位間違ってるから。

む、結局不穏当な感想になるな。ちょっと頭を冷やそう。脚本についての感想も書くつもりだったけど、今回以上に不穏当になるからしばらく間を空けてみる。



【映画「ゆめのかよいじ」関連エントリはこの文字列をクリック】