「ゆめのかよいじ」感想(原作ファン対象)破

つづき
梨絵の設定の改変は、物語全体の構造の組み違えでもある。原作だと梨絵=地の精だから、真理が古い物に惹かれることと梨絵と情を交わすこととは等価だった。女の子同士なのも、生々しい関係でないという点で意味があった(少年画報社版の描写はちとアレですが。してみると梨絵の設定を男に変えて、繊細な女子高生が純朴ぶった地の精に言いくるめられちゃうおねショタものというのもアリかもしれん)。

ところが映画の梨絵はあくまで死者の霊。真理はずっと距離を置いたままだし、そのうえ男が邪魔に入る。一方で、古い物が残っている街に惹かれる描写はあるから、【真理→梨絵】【真理→古い物】の愛情が分離してしまっていてどうにも落ち着かない。
また、原作では古い物に価値を認めるのは真理だけ。それは個性というか物語上の特権で、そういう人物だから主人公たり得た。設定上でも「現地の人間には当たり前の存在だが、よそ者だからその価値がわかる」という裏打ちがある。

「窓から山が見えるってすごくいいと思うなー」
「どうでもいいけど学校のトイレぐらいなんとかしてほしいもんだ」
角川書店版「ゆめのかよいじ」p76)

原作の、この噛み合ってない会話が好きなんだよねー。リアルで。
ところが映画では、男教師とさつきが「木造校舎取り壊し反対署名運動」なんてことをやらかす。

教師「ついにここ取りこわし決定だってさあー」
 「だから新しい校舎建てんだよ。まだ2年くらい先だけどな」
男子生徒A「やった!クーラーはつくかな?」
男子生徒B「バカ!どうせ卒業しちゃうじゃねぇか」
女子生徒「わーでもスゴイ!」
(同p157-158)

原作ではこんな感じ、生徒たちは取り壊し大歓迎です。このガヤもリアルな反応で好きだなあ。
ま、それはそれとして、現役生徒による反対署名運動というのもあり得る話でしょう。追加要素として悪いものではない。

でもね、真理とは無関係に、真理に先んじてそれやっちゃダメでしょ。主人公の特権が奪われちゃってる。木造校舎の価値を再発見するにせよ、それは真理に感化されてのことと段取りを組むべき。
つづく