電車に乗って観艦式を見に行こう!

ガノタには「ソロモンよ、私は帰ってきた!」で核バズーカを喰らわされたことで知られる観艦式ですが、今回話題にするのはリアルのほう、日本海軍が1936年に挙行した観艦式についてです。
先日、大宅文庫に行って、『話』という戦前の雑誌、1937年1月号の「阪急・阪神電鐵の争覇戰」(阪急・阪神電鉄の争覇戦)なる記事を閲覧してきました。本題はマァ「大阪中心郊外電車の乗客争奪の裏表」といって、南海電鉄阪神・阪急・京阪・大軌参急(現在の近鉄)・阪和(現在のJR阪和線)・大鉄(現在の近鉄南大阪線)・新阪堺電鉄(後に大阪市電の一部)の集客競争を取り上げた記事です。
ハイキング宣伝や、「本業そっちのけの副業」というターミナルデパートの活況、沿線の娯楽場開発のこともなかなか興味深いのですが、最も目を引いたのが「観艦式」の話題。1936年10月29日に阪神沖で観艦式が挙行された際に、各電鉄は必死の宣伝競争をしたという。

阪神は海岸線だから浜に出れば艦隊は双眼鏡なしでも手に取るように見える。阪急は山手の高台だから之また俯瞰的に艦隊の全貌が判るが、サテ拝観者はその何れに脚を向けるかが両社必死の宣伝の仕どころなのである。

俄然観艦式の二日前、阪神は阪急に戦いを挑んだ。『全国に誇る輸送陣、観艦式拝観はよく見える海岸から……阪神電車』。之を見た阪急は又負けてゐず『観艦式拝観は視野の狭い海岸より、一目全貌の判る山手高台より……阪急電車』てな具合いに両者負けず劣らず新聞広告にポスターに白熱戦を演じたものである。

わざわざ「視野の狭い海岸より」ですよ。阪神阪急はつくづく仲が悪かったんですねぇ。私には縁遠い私鉄ですが、この2社がよくまぁ経営統合したもんです。

さて当日となるとなるほど徹夜の輸送陣を張っただけで午前三時頃から阪神、阪急の梅田駅はドンドンと拝観者が詰めかけた。そして午前六七時頃にはホームから溢れて市電軌道まで人の山という物凄い有様となった。

阪急、阪神の10月下旬の成績を見ると、
阪急電鉄
 乗客数 2,387,001人(前年比586,373人増)
 乗客収入 325,022円(前年比114,484円)
阪神電鉄
 乗客数 2,690,291人(前年比735,344人増)
 乗客収入 299,148円(前年比101,175円)
<収入はいずれも銭以下切捨て。元記事では漢数字>

挙行する海軍には観光イベントという意識は無く、拝観料なども徴収していなかったでしょうが(なかったよね?)、沿岸にはかなりの経済効果を生んだようです。
なお、この日はあいにくの雨で「沖はガスが立て込んで一目瞭然どころの騒ぎぢゃない」と、拝観者は天を恨んだそうな。