原作の肝は何か

何故か今さら「ニャル子さん」の感想。一言でいうと「面白かったけど好きになれんなぁ」と。

原作未読、フラッシュ版も未見なんだけど、伝え聞く情報から推察するにコメディとしての肝は ♪心ぬるぬる異形の神々 で ♪姿ぱやぱや なんだけど ♪それでも好きです ってところだよね? ていうか「ナイアーラトテップが美少女の姿で現れて同居」という基本設定なんだから、一般に知られた(知られてるか?)無貌の神の姿にならないほうがおかしい。

んでその一方、ラブコメは恋愛が成就したらおしまいだから、成就しない仕掛けが要る。となれば「ニャル子は可愛いけど正体は無貌の神で、いいムードになっても肝心のところで正体を見せてしまって真尋は引く」てぇのがセオリーだろう。

設定にちょっと似たところのある「週刊少年サンデー」の『GAN☆KON』は、そこらへんの葛藤を乗り越えるエピソードが早々にあったし(基本はバトルものなんで乗り越えちゃっても話は続く)、以後も「ヒロインは巫女装束の美少女だけどその正体は巨神」という設定はぼつぼつ使われている。

なんだけど、アニメの「ニャル子さん」はというと、ナイアーラトテップとしての正体は設定自体が捨て去られたも同然で。

そらぁニャル子さんは小っちゃくて可愛いし(台詞は取られたが)、下手に変身なんてされたら実際引いちゃう気もするけど、それにしたって基本設定というか肝の部分を変えちゃうのはどうなんだ? というのが好きになれない理由。監督とか脚本家の作風であるとか、1クールにまとめるためのシェイプアップであるとか、そういうレベルのことではなくて単に「商品力強化のための市場迎合」に見えちゃうのがね。

「肝の部分」ってのは往々にして類似の作品との決定的な違いで、ソレを抜いちゃうと、確かに売れ筋要素がクッキリ目立って売りやすいんだけど、没個性的な作品になってしまう。それで結局「ありがちな作品」に収まると、市場に迎合した売れ筋作品のはずなのに人気はサッパリ振るわない、なんてぇ結果になる、と。いやまぁ「ニャル子さん」はアニメも好評らしく(実際まずまず面白かったしね)、だからこそここまで書けるんだけどね。