テレビゲームディバイド

テレビゲームのプレイヤーにもエリートとドロップアウトとの格差がある、という仮説。エリートはオンラインRPGで廃人になり、ドロップアウトソーシャルゲームで破産する。
ていうか、博打打ちには昔からエリートとドロップアウトとの格差があって、エリートは株や先物で破産し、ドロップアウトはパチンコや競馬で破滅するんだよな。
って、そんな話じゃなくて。
かつてテレビゲームには「ヘビーユーザー」と「ライトユーザー」がいた。大ざっぱにいうと、前者は「複雑・高度なテレビゲームの面白さを理解し、かつゲームに長い時間がかけられる人」で、後者は「複雑・高度なテレビゲームは敬遠し、元よりゲームに長い時間をかけられない人」といったところだろう。
んだけれども、コンプガチャ騒動とかを見るに、どうも「複雑・高度なテレビゲームは敬遠するけど、ゲームに長い時間をかけてしまう人」がかなりの数いるらしい。コンプガチャなどは、ゲームのつくりは簡単至極でパターン解析などの攻略法やテクニックも要求されない運任せのもので、「ライトユーザー向け」のはずなのだが、ユーザーのゲームへの取り組みは「ヘビー」というほかない。
となると、「ヘビー」「ライト」という二分法は、ソーシャルゲーム全盛の今は通用しないとみられる。ではそれに代わる軸はなんだろうと考えたときに、「テレビゲームディバイド」という言葉が思い浮かんだというわけ。
……思い浮かんだだけで、だからどうだという話ではありません。 
 
それにしても、倫理の問題はいったん全て棚上げすると「ライト層が対象なのに利益率が高い商品」なんて、よくも生み出せたものだと感心する。
ライトユーザーを対象にすれば市場は大きいけれど、単価(利益率)を下げないと食いついてくれないのだから、薄利多売モデルでしか成り立たない……と考えがちだ。けれど、何かしらリサーチを行った結果なのか、心理学上の研究に基づくのか、はたまたまぐれ当たりなのか、「複雑・高度なテレビゲームは敬遠するけど、ゲームに長い時間をかけてしまう人」という金づる…もとい、金脈を掘り当ててしまった。
この嗅覚、ビジネスセンスには学ぶべきものがある。くどいようだが倫理の問題はまた別ね。