デビルマンの時代に核の冬は無い

永井豪の『激マン!』は『デビルマン』執筆当時の状況を描いた自伝的マンガ。主人公は永井豪ならぬながい激(ながいけんなかいま強と紛らわしい)、『デビルマン』の掲載誌は『少年マガジン』でなく『少年マンガ人』で、一応はフィクションということになってますが、かなりの程度が事実に即した内容だと見ていいでしょう。

さて、『週刊漫画ゴラク』第2274号掲載分の第38話にこんな台詞がありました。映画『天地創造』の、アダムとイブがエデンを追放される場面を思い起こしながら、激はこう言います。

あのシーンを見て思ったんだ…………。
あれって…………古代の人類が経験した"核の冬"を表現しているのではないかと…。

しかしこれは明らかな間違い。この作品の舞台は1973年、核の冬仮説が提唱されたのは1983年のことです(Wikipedia「核の冬」)。仮にそれ以前から仮説があったとしても、『北斗の拳』はおろか『ザ・デイ・アフター』にすら核の冬は描かれておらず(いずれも1983年)、広く知られていたとは言い難い。

そうした時代背景からすれば、ながい激が「"核の冬"を表現しているのではないか」と言えばアシスタント氏は「核の冬? なんですかそれ?」と返しそうなところですが、共通了解事項として会話は進んでいく。1973年の物語中で「核の冬」に言及するのであれば、「当時まだ広く知られていない最新の学説にまでアンテナを伸ばしていた」と(それが事実であれフィクションであれ)描写すべきところでしょう。

この、「あえて言及し、しかし掘り下げない」という半端な扱いようがどうにも解せない。いずれにしても、「旧約聖書に描かれているのは古代の核戦争だ」という持論が気に入っていて、ひとしきり触れたかったのでしょうが、それにしても時代考証上の明らかな誤りを、どうして放置しているのか?

展開を停滞させないために、わかっていてあえてスルーしたのか、それとも……永井豪は本気で記憶違いをしているのか? 後者だとしたら「「核の冬」という仮説は10年という時代のズレを忘れさせるほどインパクトのあるものだったのか」とその受け止められ方に興味がわいてきます(一方、作品全体の自伝としての意義、信憑性に疑問符が付いてしまうのですが、マァそこはそれ)。