いくつかアニメ感想っていうか不満グダグダ

花咲くいろは
13話、1クールの区切りまで付き合ったがギブアップ。
これまで再三書いてきたとおりこの作品、ディテールが甘々でリアリティが無く、登場人物は既知外と言って差し支えないほどアタマが悪く、ストーリーは結果オーライの超ご都合主義。それでもコメディをやってるぶんには「マァ面白いからいいや」で済んだんだけど、8〜9,11〜13話とクオリティはそのままでシリアス志向になると、さすがに「なめんな」という気分。
「結果オーライのご都合主義」を「結果NGのご都合主義」にするだけでシリアスドラマ一丁上がり、という点は勉強になった。その後でまた「結果オーライのご都合主義」をやると、視聴者には「イイ話」と受け止めてもらえるとか、なるほど巧妙に計算されている。
岡田麿里ってこれまで知らなかったんだけど、なんかこう女井上敏樹だね。話の整合性は二の次三の次、芯の無いペラペラな造形のキャラクターにエキセントリックな行動を取らせることで人間ドラマを装うあたり。

神のみぞ知るセカイII
このアニメスタッフの演出センスが、ちひろ編とはかっちり噛み合ってたことが興味深い。毎度のごとくズルダラの引き延ばしだったけど、それが綺麗に「何も特別なことのない日常」の描写になっていた。
しかしまぁ、「何がやりたいんだかよくわかんない」アニメだというのが率直な感想。月夜編まで入れて1ヒロインあたり2話にすればサクサク進んだのにとか、躍起になってキャラソン売ろうとしてるくせにガールズバンド編はどうしてTVシリーズでやんないんだとか(攻略済ヒロイン再登場編でもあるんだから、既発のキャラソンのPRにもなったのに)、善し悪しの評価以前に「なぜそうしたのか・そうしなかったのか?」意図や事情が想像できなくて気持ち悪い。
もうちょっと内容に踏み込んで言うと、ハクアの始末書話の順序を変えたのも意味不明。あの回で、攻略ヒロインにはなり得ないハクアを使った番外編の形で、「神にーさまは攻略以外で自分に向けられる好意にはものすごく鈍い」と示していることが、ちひろ編での失敗に続いてるんだけどな。アニメスタッフはそこに気付かなかったんだろか? いや、気付いてないならないでいいのだけれど、それにしてもなぜ順序を入れ替えたんだろう。

DOG DAYS
これもねぇ…。予想してたけど星詠みの件は魔物を退けたことで決着着いたことになってるのな。
例えばベタな展開でいえば、魔物と対峙したクライマックス、宝剣が姫様に「我が主よ」とか話しかけて「いいえ私たちは主従ではありません! 共に歩む仲間です!!」とか姫様が返せば、宝剣の主でなくなったので予言を回避できました、なんて話もできた。もっと反則気味に、例えば「魔物は星の運行さえ歪めていたのか……!」=星詠みがそもそも間違ってました、チャンチャン みたいなオチを付けてもよかったはず。こんな言い訳さえしないとか、ぞんざいにも程がある。
再召還の条件だって、最終回になってからバタバタと「色んな人に色々と置き土産を置いてったらそれで条件を満たしてました」とかやるからご都合主義に見える。例えば第×話で◯◯と出会ったときに□□をあげていて、第×話での魔物との決戦を前に◯◯に□□を渡していて……てな調子で何話か積み重ねていったうえで最終回で、「実はあれが再召還の条件を満たすことになってました〜!!」だったら、「都合いいなオイ!」とはやっぱり思うだろうけど、そう印象は悪くなかったはず。1クールかけて次第に深めていったフロニャルドとの絆の象徴となっただろう。はなっから1クールと決まっているアニメで、どうしてこの程度の伏線もはれないんだ?

まどか☆マギカ」は結局、基礎教養として10〜12話の一挙放送を見ただけなんだけど、そこらへん隙が無いという印象だった。「ほむほむがまどかを救うためにやったリフレインが裏目に出て、因果律を強めてしまってまどかを最悪の魔女にしちゃいました」ってところから最後にもう一転、「(因果律の強化によって最悪の魔女になり得る力をつけた)まどかは「神」になっちゃいました」という結末に持っていった。
そこには「まどかを救うためにやったことは無駄ではなかった」というほむほむの救済があり、かつ「神」になるという突拍子も無い結末に説得力を与えている。このレベルが、プロの仕事に対して求めたい最低限のラインだ、と言ったら厳しいんだろうか。