バス停の遺構

以前にもうひとつのブログでとりあげた、さいたま市三菱マテリアル総合研究所(2008年5月19日付「三菱マテリアル総合研究所」)の前のお話。


なんの変哲もない歩道。いや、変哲もないというか、並木を成しているなかなか立派な歩道だ。


その途中に、車道に向けて開いた部分がある。点字ブロックまで敷かれているのだが、行った先は車道になっているだけ。なにがあるというわけではない。これは少々危なっかしい。


反対側から見ると、開いた部分が連続して二カ所あることがわかる。

こうして見ればわかるだろう、これは廃止されたバス停の遺構なのだ。


南側(進行方向前)のほうは6ブロック幅だが、


北側(後ろ)のほうは8ブロック幅。この違いから、ここを走っていた路線バスは後乗り・前降りだったと推測される。


そのつもりでよく見ると、北のほうには円柱が立っていた跡がある。ここにバス停の表示があったものと推察される。

私がこの街に引っ越してきた時にはすでにバス路線は廃止されていたため、現役の頃は全く知らない。知っている人には、これがかつてバス停だったことは当たり前、一方で知らない人は遺構の存在にすら気づかないのではないか。

調べてみると、停留所の名は「三菱研究所」。マピオンが更新をサボってくれていたおかげで判明した。

http://www.mapion.co.jp/

「三菱研究所」を手がかりにさらに調べてみると、どうやら2006年12月に廃止されたようだ。
「埼玉 2006年以前 バス路線変遷史」

18/12/11 東武バスウエスト
停留所廃止:北浦和駅前、公民館前、針ヶ谷、針ヶ谷二丁目、与野駅前、大原、三菱研究所、高台前

廃止から4年以上が経っているのだった。廃止駅の遺構は珍しくないが、廃止バス停の跡がそれとわかる状態で残っているのは珍しいと思う。ていうか危なっかしいから点字ブロックは撤去しろって。

なお、北側にもうひとつ、同様のバス停の跡がある。高台橋停留所の跡と思われる。



(2016年10月20日追加)
昨年末頃からこのあたりの再開発が本格化し、歩道の工事も行われているのだが……。

なんとまあ、新たなアスファルト舗装の上に、また点字ブロックを敷き直してしまった。「危なっかしいから点字ブロックは撤去しろ」ってこれ書いたの5年も前なのに、私以外に誰も気にしなかったばかりでなく、わざわざ敷き直しているのである。この思考の無さ、「何のための点字ブロックか」を一切考えないマヌケっぷりはなんなのだ?