「カラフル」ネタバレ感想

映画「カラフル」について、書きかけでほかしていた感想が出てきたので仕上げてみる。といっても今さらだし面倒くさいし色々と忘れているので、以前バレなしで書いた(2010年9月11日付)感想をネタバレ版で補足する形にとどめておく。

ストーリーもねえ……。人間性を疑われることを承知で言うけど、「女のアタマで考えた中学生男子の心理だな」と。こんな話なら、真と早乙女君をはかなげな美形同士にしちゃえばいいのにと真剣に思う(ていうか今ググッたら早乙女君の声をあてたアイドル?がまさにこう、テニミュとかも務まりそうなイケメンだったんで笑ってしまった)。

ま、そこらへんは好みの問題だからいいとしても、とにかく全体構成が粗雑。「絵が描けないのに毎日美術部に行ってるの? 描きかけの作品をイーゼルに掛けて、でも全く筆を動かさない、とか周囲に不審に思われるだろ?」とか「母親の逆ネグレクト、あんな決定的な出来事があった後は描写無し? 毎朝毎晩、顔を合わせてるのに?」とか「いや○○、なんでアンタそんなこと唐突にカミングアウトしてんの!!? ていうか人間心理としてまず、今やろうとしたことの言い訳をするだろ?」とか「ものすごくわかりやすい『○○が○った』という『伏線』なのに、なんで真自身の意識はそれを拾わないの? ていうかそこで伏線無視しといて、その後の描写はやっぱりこれで、そして結末はやっぱりそれなの? それでいいの???」とか、ああもう。

「女のアタマで考えた中学生男子の心理だな」というのは、家族に勧められた、美術科のある高校への進学を蹴ってまで、早乙女君と同じ高校を受けることだ。「絵を描くこと」は真のアイデンティティなのに、それが早乙女くんとの友情と天秤にかけられもせず、軽く吹き飛んでいる。家族の愛に背を向けて、それまでの己のアイデンティティをかなぐり捨てても(というか、捨てているとさえ意識せずに)しがみ付きたいものといえば信仰か、でなければ恋愛だ。恋愛感情と同等の「友情」が閉塞した状況の突破口になる、というのが、なんというかまぁ、女性的な発想だなと感じてしまうのである。真と早乙女君をはかなげな美形同士にしちゃえばいいのに、というのは実のところ皮肉でもイヤミでもなく、恋愛並の友情を描くのであれば、それに相応しい装いをしろ、ということだ。

「母親の逆ネグレクト、あんな決定的な出来事があった後は描写無し?」とは、真が「俺は不倫のことを知っている」と突きつけたこと。どこからか「やめろー!!」と制止する声が聞こえるほどの決定的な出来事なのに、その後の両者の関係の変化が全くといっていいほど描かれていない。これは一体何? 母親にしてみれば真に「俺の自殺の原因はアンタなんだよ!!」と言われたも同然で、元々情緒不安定な人なんだから、それがトリガーとなって自殺をはかりそうなもの。母にまつわる様々な要素が、ここで全く物語上の機能を失っている。

「いや○○、なんでアンタそんなこと唐突にカミングアウトしてんの!!?」は、ヒロインが真の絵を汚そうとした場面。その行為、というか絵の具を手にしていることの言い訳もせず(一見しただけでは何をしようとしていたか観客にすらわからないのに)、どうしていきなり自分語りを始めるのか全く意味がわからない。真に対してそういうことを告白する心情が、それまでに描かれていたか? 真が邪魔に入ってきたけれど売春を止めなかった、その裏面で真への後ろめたさや「綺麗なもの」に対する嫉妬が膨らんでいた……と捉えることもできなくはないが、劇中ではそこまでの描写、演出に及んでいない。

「ものすごくわかりやすい『記憶が戻った』という『伏線』」とは、父親にドライブに誘われたとき、押し入れから迷わず画材を取り出した場面のこと。普通ならここで、真が自分自身の行動に違和感を覚えて「ハッ」としそうなものだが全く無反応。じゃあ無反応であることが伏線なのかと思っていると、その後の描写では、生まれ変わり後は描けなかったはずの絵が描けている。この時点で記憶が戻っているのに、真がそれに戸惑うことも、自分が何者だったか理解する描写も無い。クライマックスまでナゾとして引っ張りたいという作り手の意思は汲むが、あまりに不自然だろう。

それやこれやと、とにかく粗雑な映画だったのだ。