ユビキタス(死語)

決して死語と化したわけではないが、それでも「ユビキタス」の語を目にする機会は格段に減った。
ユビキタス的状況がまさに遍在化したことで、あえてその名を呼ぶ必要が無くなったのだ、と思えば時の流れにちょっとした感慨を覚えるが、そんな大層な話ではなく、ただ単に一時の流行語として消費されただけだろう。
ユビキタスが死語なら、その言い換え語の「時空自在」なんてのはそもそも生まれてさえいない言葉(国立国語研究所により提案されたが正式な言い換え語にはならなかった)で、これを官庁の公式な報告の場で聞いたというのは、かなり貴重な経験だったと今にして思う(2005年1月19日付)。……ああ、「由一十」とか言ってたな、私。懐かしい。
ああ、ひとつ思い出した。ユビキタスを死語にしたもの、引導を渡したものといえば、なんだったかケータイの「指、来たっす」というCMだと思うのだがどうか。