今さら「いつからお父さんはミニバン運転手に?」って…

いわゆる「クルマ好き」の、いわゆる「ミニバンブーム」に対する恨み言というか愚痴は一体いつまで続くのだろうか。

日経ビジネスオンライン「未来の日本をデザインしよう」
「014|「お父さんの好きなクルマ」を買おう エコカー以上に大切な選択基準」
2010年3月23日(火)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100318/213440/
(略)
家族のミニバン、ワンボックスカーは野球場の隅からきれいに並んで駐車されます。お父さんお母さんは可愛い子供の勇姿を一瞬も見逃すことのないようにと真剣に観戦し、試合や練習が終わると再び子供をクルマに乗せて帰って行くという光景が毎週毎週繰り返されるのです。

お父さんのお休みはどこに行ってしまったのでしょうか? いつからお父さんは子供たちのミニバン運転手になってしまったのでしょうか?
(略)
時代は変わりました。毎週末ミニバン運転手をやっているお父さんを、今の子供たちはどのように見ているのでしょうか?

「いつからお父さんは子供たちのミニバン運転手になってしまったのでしょうか?」というが、ワゴンRの登場が1993年、オデッセイが94年。ブームのピークが、それに追随した他社の新型車が世に出た2、3年後としても、すでに13、14年以上もミニバンが自動車市場をリードする状況が続いているのである。ミニバンが既にスタンダードなのだ(厳密にいうとその後にコンパクトカーブームがあり、ヴィッツとフィットが市場をリードするスタンダードに代わった)。「いつから」だの「時代は変わりました」だの、何を今さらである。
さて、お父さんが「ミニバン運転手」な状況を踏まえて、筆者は3ページ目で以下のように提案する。

次のクルマは奥さんのためでも子供のためでもない「お父さんの好きなクルマ」を選びませんか。小さなことですが、そんなこだわりが子供に伝わって行くのだと思います。Step by Step でお父さんの威厳を取り戻しませんか。

予算の許す範囲でかっこいいクルマを選んで乗りましょう。お父さんのクルマです。これまで乗りたくても乗れなかったクルマを、安い中古車で手に入れるのも立派なエコです。エコはハイブリットカーだけではない。リサイクルだって大切なエコロジーの1つなのです。

「お父さんの好きなクルマ」に乗る。この選択基準は今のエコカーの選択以上に大切な事なのではないでしょうか。

そう思うのは勝手だが、そもそもお父さん層に「これまで乗りたくても乗れなかったクルマ」が無いのだ。初代オデッセイやそれ以前のエスティマシーダあたりで送り迎えしてもらっていた小学生が、今では「そろそろ家族のことを考えて車を選ぼうか」という歳である。少年期の原体験に「乗りたいクルマ」「かっこいいクルマ」が無い層が、既に20代後半なのだ。この事実を認識せずに「大切な事なのでは」と提案されても空疎に響く。度し難い現状認識のズレの上に言葉を重ねているため、全体に説得力が無く、ただの愚痴にしか聞こえない。
80年代末に登場し、今も脈々と受け継がれている「ガンダム」デザインの扱いについても言えることだが(3月2日付エントリ)、10年20年を経て、評価はどうあれ既に定着しているものに関して、「でもボクはそれキライだからみたくないの。ボクがすきなのはこっちなの」で済ましてしまう自動車評論家(とその周辺の「クルマ好き」)どもに付ける薬は無いのだろうか。嫌いであっても、そこに存在するなりに分析・評論するのが評論家というものだろうに。
ついでにいうと、「安い中古車で手に入れるのも立派なエコ」も2年遅れの話だ。昨年春に三代目プリウス&二代目インサイトがもたらしたハイブリッドカーブームより前、「燃費の優れた新車に買い替えることは環境に良いことだ」というトンチキな「エコ替え」を喧伝していたトヨタに浴びせるべき言葉だった。
ていうか、このタイミングでこういうテーマ(奥さんのためでも子供のためでもないクルマ)を扱うのに、ホンダCR-Zに一切触れないのはどうかしている。「燃費を気にしながらスポーツカーもねぇだろ」とか「環境問題が気になるなら遊びでクルマに乗るなよ」とか、どっち方向からもツッコミ待ちなクルマが、なぜ商品として成立しているのか。自動車業界の関係者ならそこに触れるべきだろう。どうあれ、絶滅危惧種であるコンパクトスポーツの久々の新型車なのだから。
10年単位の長期的な視点でも1〜2年のスパンでも時代錯誤、ひと月内のホットな話題にも乗り遅れている、あらゆるレベルで駄文。こういう記事はかえって珍しい。「書き手がその本来の専門分野とは無関係なことについて書いたら、てんで見当違いだった」ならまだしも、この書き手は自動車業界の人間なのだから救えない。和田智の名はいずれにせよ覚える必要はあるまい。