GXロケット廃止の是非

GXロケット廃止の是非…というと、このブログの性格的には「開発中止とはなんと早計な。貧すれば貪ず、馬鹿なことをしたもんだ」という話を展開するかと思われそうだが、まぁお待ちなさい。

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&rel=j7&k=2009111700351&j1
GXロケットは「廃止」=新エンジンも見直し−刷新会議
 政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)は17日午前、2010年度予算概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」5日目の作業を行い、官民共同開発の中型ロケット「GX」計画の廃止を求めた。液化天然ガス(LNG)を燃料とするGX用の新エンジンの開発計画についても、来年度の予算計上を見送り、全面的見直しを求めた。
 GXロケットはIHI(旧石川島播磨重工業)などが主導し、宇宙航空研究開発機構が協力する形で開発がスタートしたが、開発が遅れて総開発費も当初想定の3倍の約1500億円に増大。政府の宇宙開発戦略本部は昨年12月、当面の開発継続は決めたが、概算要求で文部科学省はエンジン部分の開発費58億円のみを計上した。
 この日の議論では、ロケットとして完成した場合の採算性について、「具体的な需要がなく、採算見通しも甘い」と批判が集中。文科省側は「今後、衛星の小型化が進み、需要も増える」などと反論したが、ロケット計画自体の廃止や、予算計上見送りを求める声が大勢を占めた。(2009/11/17-12:40)

このニュースを聞いてまず思い出したのが、今から10年前、カルロス・ゴーンを迎えた日産自動車のことだ。経営再建策の一環として、宇宙航空部門を切り捨てた。そのときには「今は採算がとれなくとも、将来必要になる成長部門なのに目先の経営再建のために切り捨てるのか。近視眼的な判断だ」とか言われていた。

さて、その判断を今どう評価するか? それは今回のGXロケット廃止の是非を考える上でもひとつ重要なポイントなのではないだろうか。



とかいって調べてみたら、なんだい、そのとき日産に切り捨てられた宇宙航空事業部が、正にくだんのGXロケットの開発担当じゃないか(IHIエアロスペース)。こりゃ日産にしてみればウマい判断だったんじゃ…。ウィキペには日産から離れた事情について、「世界に数社しかない固体燃料ロケット開発メーカーが外国資本に参入された会社であることは、日本の国策に重大な影響を及ぼす可能性があると考えられたことによるようである」とか書いているけど、ゴシップ誌じゃあるまいし「及ぼす可能性があると考えられたことによるようである」は無いよな。

閑話休題民主党政権のやることなすこと全てにケチを付けずにいられない人はおいといて、それ以外の層にも結構「新技術の開発・研究は容易に成果が出ないのだから、近視眼的な中止の判断をせず、将来を考えて継続すべきだ」という意見を持つ人は多いと思う。
それは正しい。
それはもちろん正しい。
だけど、だからといってGXロケット廃止の判断が早計かといったら、それとこれとは話が別。どうも、「廃止は早計だ」と言っている人こそ(もしくは「廃止は早計だ」と言っている人のほう)早計な判断にとらわれているように見える。GXロケットの開発は継続すべきだったか否か、無知な私には判断付きかねるが、脊髄反射的に廃止は早計だと言うことだけはせめて避けたいと思う。



あとはまぁアレだ。掲示板とか余所のブログの感想とかを見ると、「将来を見据えて」の呪縛にとらわれている人の多さにちょっと驚く。「国家百年の計」がただ土建屋を潤すための方便に使われたことを、「米百俵の精神」は結局そのときもその後も貧乏人を苦しめていることをお忘れなのだろうか。