/機動戦士ガンダム00#21

「たったそれだけの事で、こんな混乱を起こしたのか!」
「そうだとも! 人類の革新? 武力による恒久平和? 
 そんなものは言葉の飾りだ!
 私が真に願って止まぬものはただ一つ! 
 紅蓮の炎に焼かれて消える、世界そのものだ!」
てな調子の王留美死亡回。
奥さんが優しい人だったから地球を滅ぼすドゥガチさん、奥さんに逃げられたショックでクロスボーン・バンガードを旗揚げするカロッゾさんなどなど、「家」の問題に端を発する怨念を「世界」に向けちゃう人は『ガンダム』タイトルには付き物(ていうか富野カントクの憑き物)ではあります。

一応そこらへんも背景として踏まえつつ、留美の言動・行動をみてみると……。うーむ、「高い理想を掲げていたかに見えた敵の真の動機は、実はごく卑小なものだった」というならその落差によって動機も際立ちますが、留美は何が真の目的か思わせぶりに伏せたまま、弾の届かない場所でチョロチョロと立ち回ってただけですからねえ。

物語の中核に関わらないとしても、家名の重みや当主の責務といったものがわずかなりとも描かれていれば印象もまた違ったでしょうが、好き勝手ふるまう姿ばかりが強調されていたから、唐突に真情を吐露されても正直ベタな理由とさえ聞こえない。

せめて、「主従にして妹と兄」というねじれた関係だけでも、第1シーズンのうちから明示されていれば、と惜しまれます。
――ごく小規模ながら当人には重大事である家の「歪み」をチャラにするため、世界の歪みを正す戦争を背後で操る――
という対照の構図を企図していたのでしょうが、兄妹という設定からして視聴者には明かされたばかりだから、構図に落とし込んでの理解まで至らないですよ。

ま、レコアやカテ公どもの「男が振り向いてくれなかったから敵に寝返る」系よりは余程マシだとは思いますがね(これがフォローのつもりか)。

んで、もうひとつの小規模な「世界の歪み」がグラハム。刹那は「この男もまた俺たちによってゆがめられた存在」とか言ってますが、その解釈自体が歪んでますよね。

グラハムは真正面から踊りかかってくるし、沙慈やルイスは超絶ご都合主義、もとい運命のいたずらによって同じ戦場に出てきてますが、ガンダムによって大なり小なりの「歪み」を背負わされた人間が、あの世界には何万人という規模でいるはず。グラハムの歪みは己がもたらしたものと考えるなら、同様に何万人分もの歪みをも背負うのが道理。
刹那は一体どこまで考えているのか、そして物語はそこに決着を付けられるのか? ま、「今後のまとめに注目」といったところです。