居合の達人福沢諭吉

身体とアイデンティティ (歴史民俗学資料叢書 解説編)

身体とアイデンティティ (歴史民俗学資料叢書 解説編)

ひょいと購入した『身体とアイデンティティ』(礫川全次批評社)を読んでいる。本題はさておき、話のネタに面白かったのが「福沢諭吉におけるワザと身体」の章。福沢諭吉は「立身新流」という流派の居合い抜きの心得があり、相当な腕前だったという。「立派でかつ頑健な身体に恵まれ、手先は器用、武術でも抜群の実力を持っていた」うえに、世に知られるとおりアタマも良く、かつ商売上手なのだから完璧超人だ。
このあたりに着想した時代小説って無いのかしらん? 小説じゃないけどみなもと太郎の「風雲児たち」あたりでやりそうな気もするけど。
また、なんでも「のちに諭吉の片腕となって活躍した実業家の朝吹英二」は、元は増田宋太郎が放った諭吉暗殺の刺客だったという。しかも、一度は暗殺寸前にまで至ったそうだ。

朝吹の回想によれば、凶行に及ぼうとしたまさにそのとき、「ドドドドド」と寄席のハネ太鼓が鳴り、拍子抜けしてしまったのだという。しかし、おそらくこれは、朝吹があとから考えた言い訳であり、福沢の「実力」を感じ取った朝吹が凶行に踏み切れなかった、もしくは福沢と起居をともにするうちに彼に対する敬意の念が抑えがたくなった、というあたりが真相に近いのではないだろうか。
(p139-140)

「実力を感じ取った」というのも中々に緊迫感があっていいのだけれど、ここでさらに小説的な妄想力もといイマジネーションを働かせて「実は朝吹と諭吉は対峙し、剣を交わしていた」なんて想像してみてはどうだろう? 時は深夜、場所は人通りの無い橋の上、朝吹と諭吉以外に知る者は無いから、どうにでも想像のしようがある。
対決を経て和解し、以後、朝吹は諭吉の片腕的な存在になる。そして2人は示し合わせ、対決そのものを無かったことにした……と。実際、朝吹がこの暗殺未遂事件に言及したのは諭吉の死後だそうだ。