原爆の絵と空爆と

8月2日、「8月に広島に行って素通りするわけにはいくまい」と広島県立美術館の後に向かったのは、原爆ドーム広島平和記念資料館

いやもう、バカみたいな感想だけど、とにかく「熱線は嫌だー、爆風も嫌だー、放射能も嫌だー、全部まとめて戦争は嫌だー」という気分になります。犠牲者に対する哀悼の気持ちとか、「こんなことを繰り返してはいけない」的な想いも当然あるのだけれど、まずはそれ以前に、我が身に引き付けて「こんな目になんて合いたく無いよー」という「恐怖」が何より湧きあがってくる(前に一度来ているんだけど、そのときの感想って覚えていないんだよな…)。
特にインパクトが強かったのは「原爆の絵」、被爆者たちが記憶を元に1945年8月6日当日の様子を描いた絵の展示。みなアマチュアだから絵としては稚拙だし、記憶のなかで誇張されている部分もあるのだろうけど、それ故ダイレクトに当時の様子が伝わってきます。泣けます。「悲しくて」じゃなくて、まず「怖くて泣ける」。

原爆の絵―ヒロシマを伝える
買ったはいいけど開けない一冊。

ただし、そうした恐怖をたくさんの人々が知れば、そこに核拡散を抑える力を期待できるかといえば、悲しいかな「no」と即答さえできる。「爆弾を落とす側」の立場に立ってみれば、相手国にそれほどの恐怖を与えられるのだから、核攻撃はつまり有用な攻撃なのだと。

空の戦争史 (講談社現代新書)

空の戦争史 (講談社現代新書)

実際にはほとんど効果が無かったにも関わらず、空爆が過大に評価され、それと並行して「人道」というブレーキがどのように緩んでいったかは、この本にもまとめられている。著者の分析はひと言でいうとこう。「恐怖を与え、継戦の意志を挫くはずの空爆は、逆に復讐心を煽り立て、戦争の早期終結には寄与しなかった」。
しかし空爆無用を説くはずのこの分析も、突き詰めて考えていくと、回りまわって核抑止論を肯定せざるを得ない皮肉に至ってしまうのだが…。

日本人一般が、かの国に対する報復の念を全くといっていいほど抱かないのは、それだけとれば特異かつ立派なものだと思う。だけどまぁ、それは理性や道徳心の所産ではなく、平和主義でもなく、ただ単により弱いほうへと攻撃性が向かう負け犬根性ってだけだよなぁ。