タスポで消える「顔と顔を合わせた商売」?

【タスポ用に新自販機 負担増 タバコ屋さん苦境 廃業続々】
朝日新聞2008年5月12日夕刊)
http://www.asahi.com/national/update/0512/TKY200805120172.html

 町のたばこ店が廃業の危機に直面している。原因は1日に21道県で導入された自動販売機の成人識別カード「taspo(タスポ)」。自販機をタスポ仕様に切り替えるには投資が必要で、それを断念して店じまいする店も出始めた。
(略)
 道沿いの2店舗を訪ねると、すでに廃業・縮小していた。店主らは「顔と顔を合わせた商売は、もう時代遅れなんだっちゃね」と自分に言い聞かせる。
(略)

なんだそりゃ??? 「顔と顔を合わせた商売」、つまり売り手が時に応じて買い手の年齢を確認できる対面販売ならばタスポは不要なのだが……。だから話は全くの逆で、「これからはまた顔と顔を合わせた商売の時代っちゃね」とでも言うべきところだぞ?
「タスポ」に対して「たばこ店」を対立項と位置付けて、タスポという新システムを「機械的で冷たい情の無いもの」と強調したいがために、老店主の「人情味を感じさせる言葉」を引いて演出したのだろうが、かなり間の抜けた記事になっている。
ていうかそもそも自販機頼みの商売のどこが「顔と顔を合わせた商売」だ。

それにしても不思議なのは「導入を決めた側はかかる状況を予想できなかったのか」という点。勘違いしてはいけない、タスポ導入の大前提は「たばこを自販機で売り続けること」なのだ。「とはいえ未成年が気軽に購入できる状況は法的にマズイ」、だからタスポを導入した。
繰り返そう、元より自販機を無くすつもりはなく、成人はそれで買い続けると見込んでいたのだ。
だが実際に導入されてみると自販機は減少、タスポ発行に対する精神的抵抗感からたばこをやめる人間までいるという。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080422/153907/
傍目には当然の結果のように思えるが、しかしどうやら、導入を決めた側はここまでの事態は予想していなかったのである。少なくとも、新型自販機を一挙導入してもペイする程度の売れ行きは維持できる、そう考えていたはずだ。この見通しの甘さは一体何事なのだろう。泥縄的に、運転免許証で代用できるシステムの導入も検討し始めたそうだが、それができるなら初めからそうしておけばいいものを。

他方、たばこをやめる気の無い喫煙者はタスポ発行の煩わしさを嘆き、「俺たちって虐げられてるぜ」と毎度毎度のみっともない自己憐憫をみせている。喫煙権という既得権益に未練がましくしがみつき、そのくせただ愚痴をこぼすだけで何もしやしない。
一度でもまともにタスポ導入に向き合えば、取るべき道もあったはずだ。タスポ導入の表向きの目的は「未成年者の喫煙防止」ただその一点だ。その巻き添えを食って不便を被るのが我慢ならない、権利の侵害だ、個人情報流出の危機だというなら、タスポに並ぶほど効果的な未成年者の喫煙対策を提示すれば良かったのだ。
「我ら愛煙家が愛煙家の責任において、未成年者が喫煙せぬよう我々の手で徹底的な指導・教育を行う」と言って、タスポ導入の撤回を求めた喫煙者があったか? 理由が自分たちの「簡便にタバコを購入する権利」を守るためであれ行動を起こした者はいたか? タスポ導入が発表されてから今までそれなりの時間はあったし、かかる事態は容易に予想できたにもかかわらず、ただ「俺たち可哀相」とこぼし続けただけではないか(いや、もちろん何かしら活動をした人もいたとは思うけど、それが広く世に知られていたとは言い難いよね)。
もっとも、真に煙草を愛する者であれば、タスポの如きは何の障害でもなく、未成年者の喫煙の未然防止という主旨に賛同し、愚痴ることも無いはずだ。しかし、私の周りの喫煙者を見る限り、残念ながらそこに真の愛煙家はいない。
私はたばこが嫌いだ。だが、喫煙者を嫌う理由はそれとは別だ。既得権益を「あって当然」と受け止め、失われつつある段になってもただ愚痴をこぼすか、あるいは「禁煙ファッショだ!」と逆ギレするか、いずれにせよ冷静に社会との折り合いを付けられない後ろ向きの精神が嫌いなのである。冒頭で紹介した記事のマヌケさも、愚痴が感傷へと変わってのことではないかと邪推される。