バンブーブレード#24

「剣と道」
東聡莉と参考書
ミヤミヤの敗戦と彷徨というエピソードは、実は東を引き立てるためのものだったのだ! …と大胆な説を唱えてみる。
冷静に考えると、東はものすごく不幸な人物だ。参考書を買えば「無駄なのに…」と陰口を叩かれるほど(ひどい連中である)成績は悪いし、剣道の実力はかなりのもの(「室江の女子が個人戦で優勝した」と聞いて連想されるほどの強さ)なのに公式戦では不本意な腹痛で敗退する。努力の報われなさでいったらミヤミヤなど比べ物にならない。
それでも東は参考書を買うし、一時は剣道を捨ててまで勉強に打ち込んだ。無駄といわれるような努力を、重ね続けてきた。「そそっかしいからテストで結果が出せないのだ、本当の実力はもっと上なのだ」などと言い訳せずに、愚直なまでに勉強を重ねた。傍目には「まずドジのほうを治せ」と思うが、当人はあくまで正攻法の努力を積んだ。天然の入った陽性のキャラもあって、原作及びこれまでのエピソードではコミックリリーフの位置付けだったが、シリアスな場におけば相当に深く掘り下げられる人物だ。
ただ、だからといって本人が「剣道を再開して成績がさらに下がった。剣道部を続けるべきか否か?」とシリアスに悩む、なんてエピソードは似つかわしくない(私は見たかったけど)。
 
元ヤンとパシリ
そこでアニメ版スタッフは、オリジナル編にあたって東を引き立てる術を画策した。
東の対極に配置されるのは誰か? それはやはり、原作から元ヤンとパシリという関係が構築されているミヤミヤだろう。元より「お人好しな真面目娘」と「腹黒な元ヤン」、「弱気がち」と「超強気」、そして「子供の頃からの剣道経験者」と「始めたばかりの初心者」という好対照のふたりだ。
では、東の「報われない努力をめげずに重ねている」ことを引き立たせるには? そうだ、ミヤミヤに「目先の努力が報われずに不貞腐れる」エピソードを乗せればいい――。そうして「ミヤミヤにきつく意見する東」という逆転を前面に出しつつ、東というキャラの立脚点を掘り下げている24話のあの場面に至ったのである。
 
スタッフと視聴者
一応断っておくが、本気で「初めに東ありき」でつくられた話だと思っているわけではない。ただ、物語の前面となっているミヤミヤ側だけでなく、東の側もまた人物像の掘り下げとなっていることには、やはり注目すべきだろう。しかもその裏面のドラマを、24話のあの場面に至るまで伏せ続けていたのだ。東というカードの意味がオープンになったときの、「ああ、だから東だったのか!」という、驚きつつ腑に落ちる感覚は実に心地よかった。
スマートな脚本・演出だな、と思ったのは、あの場面に東の自分語りや回想を入れなかったこと。あそこで東が、自分の努力とそれに伴わない成績の話を始めたら、わかりやすいが陳腐な場面になっていたはず。ただでさえいわゆる「王道」の場面、一歩踏み誤れば「ステレオタイプ」に堕したところで、その一歩を踏みとどまったのだ。
ただ、こういうことは劇中で親切丁寧に、それこそ台詞や回想シーンで逐一説明してあげないとわからない人も結構な数でいるようで、スタッフサイドにとっては「どこまで説明するのが適切なのか」と、悩ましいところだろうなと思う。
 
タチとネコサヤとキリノ
比べると、「思いつめたキリノをサヤが救う」という攻受の逆転のほうはかなりオーソドックスで、ストレートな台詞で語られるため(「ストレート」には見えないがな)予定調和的な逆転という印象だが、これもまず面白かった。キリノは基本的に出来た御仁だから、コジローに激昂したり、ひとり思いつめて退部届を書いたりの脆さを見せるだけで十分クライマックスとして成立する。サヤのほうはもうちょっと複雑で、これまでずっとどこかキリノに甘えたところがあり(甚だしくは自殺予告まで)、しかもその依存心を自覚していた。その一方的な甘えに対して、サヤ自身はどこか物足りなさを感じていた……のだろう。多分。これまで直接の描写は無かったから脳内補完せざるを得ないけど、今回の描写は還元的にそういうサヤの内心を浮かび上がらせてくれた。
 
正義と悪
誉めてばかりだと信者扱いされかねないので不満点も上げておく。外山の扱いはもう少しなんとかならなかったのか。かつての「勝つから正義」のタマちゃんに、劇中で最初に討たれた悪は他ならぬ外山だった。ならば、「負けた者は正義ではないのか」の問いかけを抱えた今のタマちゃんが、再び外山と対峙したならどうなるのか。
勝ち負けとは別に、外山のこのたびの行いは処罰されるべき悪である。とはいえ、その外山を再び成敗したところでタマちゃんの正義が回復するわけでは、おそらく、ない。そもそも剣道部とは直接の関係が無い不祥事なのだから。ならばどうする?
てな感じの展開を期待していたし、何かしら触れるべきと思うのだが、外山と接触したのはユージ君とダン君のみ。ダン君の成長を描くだけで外山のキャラを消費してしまったことが惜しまれる。
でもってそのダン君もなぁ。外山相手に抜き胴で一本取れるくらいに成長した、というのはつまり、ミヤミヤに「私の気持ちなんてわからない」といわれた「なんでもできるダン君」とイコールなわけで。それがどうして今回は「ミヤミヤの気持ちがわかった気がする」という結論に達するのか腑に落ちない。「起死回生の抜き胴が入ったかに見えたが『浅ぇよ! 腰が引けてんだよ! それじゃ一本は取れねぇよ!』と言われてショック」だったら納得できたのだが……。まぁ、私はダン君に思い入れがないから、心情の理解にも至らないのだろうけど。
 
主役と指導者
タマちゃんについては良いも悪いも言うことはなく。他校の先生に教えを請いに行くかフツー? とか、ちょうど石橋が町戸高にいる日&時間なのも都合良すぎとか。コジローも実は上段使いってのはいかにもとってつけた感じだとか、それにしたって石橋の意表を突くために苦し紛れで構えを変えただけじゃねーの? とか。結構あるな。
まぁコジローの上段については、石橋の中に「上段との戦い方を知りたいなら、上段使いのこの俺に勝ったコジローに聞けばいいだろ? ふーんだ。……でもそういう言い方だと大人気ないか。あ、そういやあの試合、俺に対抗してコジローも上段に構えてたっけ」なんて葛藤があったと深読みしておこう。
そのコジローの救いがたいダメっぷりについては、前回の感想にも書いたとおり、スタッフがどこまでわかっていて描いているのか判断つきかねるので、もうしばらく評価保留。劇中で描写がないだけで外山ともちゃんと話しているんだろうけど……。顧問としての責任をどの程度感じているかはまたしてもスルーだったか。
ただ、タマちゃんの口からストレートに「楽しければそれでいいんですか?」と投げかけられたのはちょっと驚いた。作品の方向性として、それは絶対の禁句だと思っていたので。