筒井康隆とエイズ

言葉狩りといえば思い出すのが筒井康隆だ……と書き出したものの、断筆宣言騒動については色々ブッちぎって、単に先日たまたま文庫版を読んだこの本の話。

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

1990年に書かれたこの作品をいまこの時代に読み返してみて、学内政治の描写や文学理論の解説よりもインパクトがあったのが、エイズ患者に対する偏見と、男性同性愛者に対する公然たる差別意識の凄まじさだった。
ひと言でいえば、それぞれこういうことだ。
エイズはホモがかかる奇病である」
「ホモの病気だからエイズ患者は人間扱いしなくていい」

いやもう、どこの表現がどうだとか例を上げて説明する必要が無いほど明からさまに、何度も何度もそうした意識が表出している。
無論、筒井康隆が際立って反・同性愛者的であるわけではなく、またこの作品の裏テーマにフェミニズム論があるとも見受けられず(作品中で語られなかった後期の講義では、唯野教授はフェミニズムにひとコマ充てているのだが、そこで男性同性愛者をどう取り上げたのか興味深いところである)、要するにホモを出しておけばそれだけでおぞましい雰囲気を形成でき、笑いを取りにいけるという、それだけだったのだろう。
しかもその延長上で、「適切な治療法が確立されていない、死に至る恐るべき感染症」たるエイズを患う者を、男性同性愛者と同一と扱い、笑い者にしていたのだ!!――と話を「良心的」に転がしてもいいのだが……。正直、そんなに怒りもしないんだよね。なんというか、自分のその醒めた感じが興味深かった。「そうそう、この当時ってエイズは文字どおり海の向こうの出来事だったし、みんな『ホモがかかる病気』だと思ってたし、全く縁の無い世界の出来事だと思ってたよなー」てな感じで、当時の社会の共通認識を思い出す程度に落ち着いてしまったのだ(まぁ、現代において初めて予備知識を持たずに読む人には相当ショッキングだろうと思うし、小説家たる者はもっとセンシティブに事態を捉えるべきであった、くらいは言ってもいい気はするけどね)。
エイズの場合は、HIV感染者・AIDS患者が増加し、性的嗜好を問わず誰にも脅威と成りうる性行為感染症である、と認識されたことで差別意識が解消された経緯があるから、これを単純に精神障害者被差別部落出身者のケースと比較するわけにはいかないだろうが、いわゆる「差別的表現」や「言葉狩り」を捉えなおす切り口の一つとして、この『文学部唯野教授』の例は面白いのではないだろうか。