「ベストセラー」か「売れない本」しか認識できない貧しさ

一昨年の碧天舎倒産に続いて新風舎倒産とくれば次は文芸社か? てな感じの共同出版業界の状況は、はっきり言って対岸の火事なんですが、ていうか対岸の川辺の街からさらに遠く離れて丘の中腹にある庵から火事を眺めているような状態なんですが、そうは言っても「同じ市内での出来事」くらいには気にかけています。
なのでブログだのウェブ上のニュース記事などにもひととおり目を通しているのですが、そこにはどうにも違和感が付きまとう。

【よくある内容その1】「山田悠介日日日のようにデビューは共同出版だったベストセラー作家もいる。『佐賀のがばいばあちゃん』も最初は自費出版だった」
【よくある内容その2】「出版不況が叫ばれる折、プロが書いた本さえ売れないのに無名のアマチュア作品はなおさら厳しいことくらいわかりそうなものだ」

だいたいこの2つが「よくある内容」だという点に異存はないと思います。ここになんというか「ベストセラー」か「売れない本」という二分法しかできない貧しさを感じてしまうのです。こういう記事を書く人には「世に知られてないけど私には面白い本」とか「いかにも売れなさそうだけど私の調べものには有用な本」とか「全く売れ筋ではないけどそれ故に出版されたこと自体に敬意を表して買いたい本」はないのか、と。
ほとんどの記事は根本的に、そうした「自律的・能動的な読者の視点」を欠いている。
【よくある内容その3】に「自分の作品を本にしたい、という夢を食い物にする悪徳商法」なんてのもありますが、ここではいきなり著者の立場になっています。ほとんどの記者・ブロガーは「自分が共同出版で世に出た本の読者になる可能性」を想像していない。なんだかんだ言っても本が好きな私は、そこに違和感を抱いてしまうのです。