大人の事情と日本のコンテンツ産業

仮面ライダー電王』、寒いネタとフツーの感想が続いてしまったので、視点を変えてちょっと真面目な話を。まずはとりあえず、以下の場面を想像してみてください。

未来的なデザインの列車が2編成、ともにレールに乗ったまま空中に飛び上がって、廃墟の都市を眼下に、青空のもとで組んづ解れつの空中戦を演じ、最後は正面衝突……否、噛み付き攻撃vsドリルを突き立てる体当たりで決着。

劇場版『仮面ライダー電王』のクライマックスです。私は観たとおりに書いたのですが、観たこと無い人には何がなんだかサッパリ想像できないと思います。こういう、かつて観たことのない、夢想だにしなかった、言葉に書いてもわからない場面が、スッキリすんなり描かれていることの凄さよ!!
……なのに、どうもその凄さが伝わっていないフシがある。
電王の不幸は、毎年こういうのに付き合ってるオタどもには「ライダーが電車ねぇ……バンダイ東映も必死だね……ああ、でもなかなかヤルね」くらいに受け流される一方、観ない人には見向きもされないことでしょう。たまたま観たとしても、画の密度でいえば(予算規模もね…)ハリウッド産のCGを駆使したヒーロームービーに遠く及ばないのは事実なので(いやもうホントに)、その印象によって軽んじられる。それがどうにももどかしい。
ともあれ、いわゆる「日本のコンテンツ産業」の優位性のカギが、ここに見え隠れしているように思えます。オモチャメーカー主導でのコンセプトの決定という「大人の事情」が先行してある。マーケティングリサーチにより、「バイクは商品力が弱い一方、電車には根強い人気がある」とかいう結果が出れば、「今度の仮面ライダーは電車に乗ってやってくる」という、ムチャクチャなコンセプトを振ってくる。
しかしそれを映像作品側のスタッフは真っ向から受け止めて、消化した。そうして、「列車同士の空中戦」という卓抜したセンス・オブ・ワンダーな映像が生み出された……。
この、理不尽なまでの無理を強いる「大人の事情」の存在(と、それへの対応)こそが、日本のいわゆるコンテンツ産業の核心ではないでしょうか?
あー、いやさすがに「核心」は言い過ぎかと自分でも思いますが、私がアニメファン向けの深夜アニメには興味を持たない一方、子供向けアニメ(と特撮)には注目するのは、まずそうした理由からです。今年はガンダムを観ようか、と思ったのもバンダイが手綱を引いてるから(……前作と違って・苦笑)。
あ、言うまでも無いですが「電王」は、主演の佐藤健の5(+1)つの人格の演じ分けが天才的とか、その声を演じる声優陣の巧さとか、脚本がまたキャストとキャラの魅力を十分に活かす台詞の応酬になっているとか、ストーリー構成も従来になく練られているとか、そういう魅力も備えています。別にバンダイと特撮班だけが凄いと言いたいわけではありませんので念のため。