追悼、コリン・マクレー

コリン・マクレーが先月、事故死していたことを今日になって知りました。
今さらではありますが、ここに慎んで哀悼の意を表します。
え、「それ誰?」だって?
よろしい、ならば見よ! これがコリン・マクレーだ!!

速い! とにかく速い! 
でも転がる! 潰れる! それでも走る!!
これだけやらかして2位フィニッシュなんだからまるでマンガですわ。
これが事実上、最後の勇姿となりました(翌2007年は途中敗退)。「あはは、最後までこんな調子だったか」と、笑いながら泣けてきます。
私にとってWRCが面白かった時期は、ちょうどコリン・マクレーの全盛期と重なっています。いえ、私だけでなく、あの時代を知る日本のWRCファンにとっては、コリン・マクレーは特別な存在なのではないでしょうか。
Gr.Aスバルレガシィインプレッサの熟成と共にあり、1995年にはスバルにメイクス・ドライバーズのダブルタイトルをもたらし、つづく96、97年の3年連続メイクスタイトルの立役者ともなったのですから。
一見、朴訥としたスコットランドの田舎者だけどハンドル握ると大暴れ、「とにかく速い! ……でもその速さを抑えきれずにコースアウト」というコリン・マクレーは、こう言うと語弊がありますが実にマンガ的なキャラクターでした。
94〜95年のチームメイト、ミリ単位でセッティングにこだわる繊細な神経の持ち主、カルロス・サインツとは極めて対照的なところも面白かったですね。チームオーダー無視の一件も、実に人間くさいトラブルとして私はハラハラしながら単純に面白がっていました(多くのモータースポーツファンがそうであるように、私もまた「チームオーダー」に対して否定的でしたし)。当時はWRC開催中はトーチュウ(東京中日スポーツ)買って毎日結果をチェックしていたっけ。他に情報源が無くてなー。