国鉄の終焉、近代の終焉

♪ああ、日本のどこかに私を待ってる人がいる…

言わずと知れた名曲、「いい日旅立ち」のさびの部分だ。さて、どうやってその「日本のどこか」にたどり着くのか?

答はもちろん「国鉄に乗って」だ。

今となっては何故に「もちろん」なのか知らない世代も多いだろうから短く解説すると、「いい日旅立ち」とは、元々はJRの前身である日本国有鉄道の旅行宣伝のキャッチコピーであり、そのCMソングが作詞作曲:谷村新司、歌:山口百恵の「いい日旅立ち」だったのである。

後年にはJR西日本がカバーバージョン「いい日旅立ち・西へ」をCMソングに用いた。西日本の情景を織り込んだ新しい歌詞や、鬼束ちひろの歌唱はなかなかに魅力的だったが、変更されなかったさびの部分にはどうしても違和感を感じてしまう。「日本のどこか」が北海道や九州だったら、JR西日本では行くことができないだろう、と。「日本のどこか」へは、やはり国鉄でなければたどり着くことはできないのだ。

裏を返せば「国鉄であれば日本のどこへなりとも行けた」ということである。「チャレンジ20000km」のキャンペーン効果もあり、その当時は国鉄の列車に乗ったなら、足元に遥か2万キロに広がる旅路を夢想できたほどだ。

そう、かつて日本はひとつだった。

歴史をたどれば、国鉄はまさに「日本をひとつにする」ために生まれたに等しいといえる。明治39年、全国にばらばらとあった私鉄を買収し、全国を網羅する鉄道網として国有化したのが国鉄のルーツなのだから。

その当時のことは、実のところよく知らない(調べれば先人の研究もあるのだろうが)。だが、元々は実用上の問題としての鉄道国有化は、さして間をおかずに、精神的にも「日本はひとつ」の象徴として国民に共有されたものと思う。人だけでなく物流もまた、鉄道に依存していた時代である。

いや、よく知らない時代の話は避けよう。少なくとも「チャレンジ20000km」「いい日旅立ち」の時代には間違いなく、国鉄が「日本をひとつ」にしていたのだ。

その日本をバラバラに解体してしまったのが、中曽根康弘だという事実は大きな皮肉である。後年、中曽根は隠すでもなく、それどころか誇らしげに「国鉄分割民営化の真の目的は国労潰し・社会党潰しだった」と公言しているという。確かに、日本の労使闘争は国鉄分割民営化でとどめを刺された。だが――中曽根にその自覚は無いようだが――もろともに「日本はひとつ」が滅びたのだ。僻地の隅々まで日本はひとつだという、精神の基盤は滅した。

国鉄が終わり、近代のトピックである労使闘争が終わり、国家という「大きな物語」も終わった。

そうして近代が終わった。

つづく。