TV屋の性根はダニ

承前、『東京大学「ノイズ文化論」講義』(宮沢章夫asin:4861912849)の話題の続き。ただ、なんだかんだでこの本は面白い、とは書いておきます。頭のなかの、普段は使っていない領域がガラガラと動き出す感覚はやはり心地よく、そうした快感が得られただけでも意義ある読書といえるでしょう。
で、今回のエントリは各論。第9講のゲスト、「第2日本テレビ事業本部エグゼクティブディレクター」なる肩書きを持つ土屋敏男とかいう御仁がこんなことを言っています。(p265)

お笑いでいうと、ラーメンズはテレビにはほとんど出ないで、ライブだけでなんとかやっていこうとしている。僕も、そういう人たちがいてもいいだろうなと思います。

うん、まぁそういうお笑い芸人がいてもいいよね……などとうなづきかけると、土屋の話はここからムチャクチャな展開を見せます。

たとえば、一か月に1本コンテンツを作ります。100円で見せます。それに1万人のファンがつきました。1万人の人は必ずお金を払います。すると、月に100万円の売上は必ずあります。それで、半分は第2日本テレビがもらいます。残りの50万円は、たぶん事務所が半分持っていくでしょう。すると残り25万円あります。2人組だとすると、この25万で、ま、なんとか生きていけるじゃないですか(笑)。「これでいいんだ」と割り切るやつが出てこないと。

厚顔というかなんというか……。いきなり、まず初めに、「それが当然」というツラをして、総売上の半分を分捕っていく浅ましさよ!
TV屋は性根からダニなのだと思い知ります。穏当に言うと、骨の髄から殿様商売というくらいでしょうか。客がお金を払うのは、言い換えれば、彼らが価値を認めたのは「芸人」でしょ? TV屋でも事務所でもなく。その本来の「価値」である芸人に、食うや食わずの生活を強いて、一体どのツラ下げて「「これでいいんだ」と割り切るやつが出てこないと」などと言えるのか……。
逆でしょ、逆。最終的に芸人たちの手に入る金から考えるの、ここは。どの道25万円の収入にしかならないなら、ダニどもに搾取された挙げ句、テレビの向こうにいる顔も知らない1万人に消費されるよりも、演芸場まで足を運んでくれるファンを大事にして、そうした人たちの顔が見えるようなライブをやるほうがいい、という選択でしょ? 「テレビにはほとんど出ないで、ライブだけでなんとかやっていこう」というのは(実際それで月収25万円をキープできるかどうかは知らないが……)。
「下々の者は余を奉じている」「下々の者は余に貢ぐのが当然」と思いこんでいるTV城のお殿様には、こんな当たり前のことすらわからないのだ。主流からちょいと外れているはずの、地上波デジタル担当ですらこうなのだから、それ以下のTV屋がいかなるものかも推し量れます。
あえて宮本語を使うことでイヤミとしましょうか。エンタテイメントの支配者を自認するTV屋・土屋は、TVに出ない芸人という「ノイズ」を許容できないのです。だから何とかTVの中に取り込んで、自分の尺度でクリアにしようとしている。ここでもまた、論旨がねじくれてしまっています。
まだつづく。