コミケの存在意義

前回エントリのコメントに対するお返事を書いてみたら、思いのほか長くなったので、独立したエントリにしてみました。

コミケの存在意義とは、やはり年に二度のお祭なのでしょう、オタクという共同意識の。
「純粋なファン活動として発表したいだけの人には今ならWebがある」し、その対極である「商品性の高い同人誌」もまた、ショップなりネット通販なりで大方買いそろえられる。となるとコミケはやはり「同人誌の売買を核に『みんな』が集まることに意義がある」場とみます。

もっとも、まず「絵や文章だったら〜今ならWebがある」という見方に、やや疑問を感じます。某出版社の仕事を単発単発で受けているのですが(某社ウェブサイトにいう「プロのスタッフ」として、アマチュア作家の原稿の感想文を書いてます)、本の形で世に出すというのは、それが同人誌であれ商業出版であれ、ウェブで発表することとはまた別の表現とみたほうがよいようです。

それと、TooBigだからこそ包含できる周縁のジャンルもあり、そのあたりには同人スピリッツが残っていることも見過ごせないでしょう。明智さん(誰だよ)に蹴り入れられそうですが、それこそ学慢とか。玩具研究系、鉄道系旅行系、歴史系、電源無用ゲーム系、文芸創作系とかはよそのイベントではブースを並べるなんてことはまずありませんし……。

コミケが現在の規模になったこと、そして周辺の様々な、実に様々な状況の変化にさらされながら、今なお健在であることについて、やはり米沢嘉博氏の功績は賞賛に値すると思うのです。

ただ、版権・著作権が絡む問題になると、まずコミケは分が悪い。イベント運営母体はなぜGK系イベントの「当日版権」という先行事例に倣えないのか? また、版権をもつ側に関しても、GKには当日版権という縛りを設けておいてコミケ(その他同人誌販売イベント、乃至同人誌自体)はお咎め無しではダブルスタンダードではないのか? といった疑問は当然のようにわいてきます。

これは単に倫理の問題ではなく、危機管理としてもうまくない。どこかでヘソを曲げた権利者に「ダメだ」と言われれば、「二次創作」なんて便利な言葉を振りかざしたところで、まず裁判で勝つ見込みはない(つか、過去の同人誌絡みの訴訟で、同人作家側が勝ったものってありましたっけ?)。また、版権ではなく「クリアな年齢認証システムがないまま、成人向けのわいせつ図書を売買している」なんて方面から網をかけられても、言い逃れの余地がない。そこらへんの「喉元過ぎれば」型の反省の無さもイヤですね、コミケって。