大阪万博の断層

思わぬ形で話が盛り上がった7月12日付エントリ「日本沈没と70年代、そして現代」について、ちょっと自己フォロー。文中、「昭和30年代ブーム」に対して「昭和40年代ブーム」でも「昭和50年代ブーム」でもなく、何故「(19) 70年代ブーム」といっているのか説明しておきます。
端的にいうと「前者は便宜的に昭和30年代といっているが、このブームの中で語られる「古き良き時代」には昭和45年(1970年)の大阪万博まで含まれる」ということです。でもって、その後にきた「ロクでもない時代」を語る、そういうブームを想定しているから「70年代ブーム」という言い方をしております。70年の大阪万博というのは、いま思う以上に大きな断層として横たわっているのではないか? そんな感触があるんですね。一例を挙げると……。
■バンパク・キッズは何を夢見た? 重松清さん
アサヒドットコム・book「ポケットから」2005年03月20日

七〇年万博に夢中になっていたバンパク・キッズ(僕もその一人だ)が感じていた「豊かさ」や夢見ていた「未来」も幻想だったのか……?

ここで自らを「バンパク・キッズ」と呼称する重松清は1963年3月生まれ、「日本沈没」(2006年)の監督・樋口真嗣は1965年9月生まれ。この2年、いや3学年の間には、単に3学年というだけではない大きな開きが……それこそ断層があるのではないか、ということです。言うまでもなく「"未来"の原体験に、大阪万博があるか否か」の差です。大阪万博の当時に小学3年生だった重松清は、今もなおその未来像を抱えつづけていて、今あるパンパク(=未来観)に違和感を感じている。
対して、当時未就学だった樋口真嗣には「人類の進歩と調和」は実感として無く、2年生のとき見た日本沈没に大きな衝撃を受け、今はそのノーフューチャーへと立ち向かっている……。2人だけのサンプルで「世代」を語る愚を犯すつもりはありませんが、少なくとも「時代の節目」を考察するうえで興味深い差異のひとつではあると思います。

万博幻想―戦後政治の呪縛 (ちくま新書)

万博幻想―戦後政治の呪縛 (ちくま新書)

今回の考察の元ともなった本。非常に刺激的、かつ示唆に富む(以前に取り上げたときはネタで流したけど)。ただし愛知万博開幕前に、愛知万博に対して好意的に書かれた本なので、「つまりはトヨタ電通」という話は出てこない。