非Aのセカイ系

先月、新城カズマ目当てで『SFマガジン』を購入する。買ったのは10年ぶりくらいか。新城カズマ……我らがグランドマスター柳川房彦の新作「アンジー・クレーマーにさよならを」は、ガジェットの設定や百合的な関係の導入など時流を汲みつつも、やはり彼にしか書き得ない重層的・複合的な内容になっており、堪能できた。
なんて偉そうなことを書いているが、私は現在のSFシーンについて無知に等しい。そのため、同誌の記事でとりわけ面白かったのが、笠井潔山田正紀の対談「戦後文学からオタク文学へ 団塊世代の日本SF史」だった。そのなかで面食らったのが、「セカイ系」なるサブジャンルが、既に周知のものとしてなんの解説もなく、ごく当たり前に使われていることだった。雰囲気はわからなくもないが、しかしどんな作品群を指すジャンルなのか見当がつかない。そこで友人に「セカイ系って何よ?」と聞くと、
「世界が破滅するようなことが起こっているけど、それよか目の前の彼女のほうが大事だ、とかそういう作品。『エヴァンゲリオン』とか、『最終兵器彼女』なんかモロにそうだし、あとは『ブギーポップ』あたり」
エヴァしか見たことないが、大体わかった」
そこで私が真っ先に思い出したタイトルが『Lの季節』(asin:B00005OV2T)。渡辺明夫の絵やキャスト含めてキャラクターは好みだし、プレイアビリティも高く、よく作りこまれた作品だが、どうにも性に合わず3、4周で放置していたっけ。
さて、そうした作品群がジャンルとして成立している現状を知ったうえで「アンジー・クレーマーにさよならを」を読み返すと、なるほどこの結末は新城カズマなりのセカイの理解か、とおぼろげに見えてくる。個人対個人の関係と世界の破滅との結びつきが自然(というか常識に則っている)なので、そうした含みがあると気付けなかった。ヒロイン達の最後の会話が、新城カズマにとってのセカイ系なのだろう。
なんでまた唐突にセカイ系の話かというと、『ひかりのまち』に読む価値すら認めなかった自分の趣味ってなんだろうと再確認をしていたら、井上陽水の「傘がない」とかを経由して、セカイ系にたどり着いたという由。もちろん『ひかりのまち』はいわゆるセカイ系ではないのだろうが、登場人物が自分の周囲だけの狭い世間を生きている雰囲気が、私にとってはセカイ系と同列なのだ。
それはそれとして「リアル・フィクション」て何よ?
サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)
新城カズマ 早川文庫 2005/06/16)
すいません、序盤しか読んでません。下巻が出ないうちにと思っているけど…。