蒙きものども

色々と調べものをしていたら、「啓蒙」が最近になって差別用語扱いされているとの記述を見かけた。その根拠は、なんでも「知能に劣る蒙古に正しい教えを説く意味だから」とのこと。「視覚障害者に対する差別だから」との説もある。ああ、まさに啓かれるべき蒙さよ! 啓蒙がモンゴル差別ならば「無知蒙昧」も同様だ。視覚障害者差別ならば「私は言葉の成立過程に“暗い”」という言い回しも差別だろう(となれば“明るい”も同様)。あまりにバカらしくてこれ以上の反論は要るまい。
これに比べたら「片手落ち」差別語扱いのほうがまだわかる。こちらは、字面から直感的に肢体不自由者が連想されるからだ。「この語を見た肢体不自由者が差別を感じるかもしれない」との配慮は決して無駄ではあるまい。それを踏まえ、さらに「この“手”は“手段”であって、物理的な手ではない」という理解を経て、使うか否かを判断すべきだろう。
では「啓蒙」はというと……。「何がなんだかわからない」が正直なところ。字面からモンゴルだの視覚不自由者を連想する者はあるまい。その一方、字義を調べるわずかな手間をかければ、差別語扱いが誤謬であることはたちまちに知れる。あまりに変なので、誰が最初に言い出したのか興味をそそられてきた。ちょっと調べてみるか(「はてな」使うか?)