最近観たTV番組

『ドアマイガーD』
大塚家具のお家騒動を見ているとこのアニメを連想する。社長=大次郎を育てるため、会長=親父はあえて敵を演じていた。真に倒すべきはIKEA=ロバート! みたいな。
 
『ディスクウォーズ:アベンジャーズ#51(最終回)「さらば僕だけの英雄達」
ツイッターで感想を探ると概ね好評のようだけど、まるで口裏を合われたように皆そろって「初めはテンポが悪かったけど」「初めはバンクばっかりだったけど」「初めは…」と言っているのが可笑しい。まー実際、舞台が日本に移る前あたりまでは酷かったから仕方ないよね。私含めて、みんなよくそこでリタイヤしなかったと思う。

過去にゲストとして登場したヒーロー、ヴィランが最後の決戦に援軍にやってくる、というのは型どおりながら燃える展開。このDWでアメコミヒーローの多彩さを知り、興味を持った人も多いようで、それだけでも一年展開した意味はあったのではないでしょうか。少年とヒーローとの別れ、そして月日が経っての再会というエピローグもまた型どおりながらきれいな着地点でした。

ただ、ロキの負け方がいささかあっけないというか、ソーに対する劣等感とか、今回になって語られた孤独の闇とかがおざなりな扱いのまま決着が付いてしまったのは残念。それと、人気キャラのデッドプールをあえて出さなかった見識の高さは評価しますが(出したら色々ブチ壊しだからね)、それはそれとしてやはり出して欲しかった。
 
SHIROBAKO#24(最終回)「遠すぎた納品」
制作進行の宮森をはじめとする裏方中の裏方、クリエイティブな部分に直接関わらない面々の見せ場を最後に持ってきた。その手と足によって作品が視聴者の元に届く、という直接的な描写。その間、現場のスタッフたちは既に仕事から解放されて打ち上げ会場にいる、という差も明確でした。「少し高いところから遠くを見る時がきた」というのはもちろん宮森のキャリアプランのことだけど、現場の面々を一段高いところから俯瞰する仕事であるという含みもあるんだろうね。打ち上げでのあいさつが、内容のみならず立ち位置そのものがそんな感じだったし。

小説やドラマでは定番だけどアニメではやりづらい、ぶっちゃけ売れ筋ではない「お仕事もの」をアニメオリジナルで作り上げ、しかも管見の限り商業的にも成功させた意義は大きいのではないでしょうか。

ただ、最後の最後まで底流の部分で気になっていたんですがこれ、P.A.ワークスのアニメなんですよね。富山の。今回みたいな地理的条件が直接関わるエピソードだとそこがまた「実際どうなのよ?」と引っかかってくる。まぁ、この作品を前提にして、地方のアニメ会社の仕事を描くスピンオフもアリかもしれん。
 
アイドルマスター シンデレラガールズ#11
NGsの裏で序盤のストーリーを引っ張っていたみくにゃんのデビュー回の割には普通だった。いや、悪かないんだけど立ち位置的にはもうちょいシリアスに振っても良かったんじゃないかなー。

みくにゃん、というか前川さんは最初から「普通の女の子が猫キャラを作って演じている」という伏線(っぽい描写)があったのに、そこらへんがほとんど生きなかったのも残念。第1話でいきなり「何キャラでいくにゃ?」と言っていたり、第8話では猫耳は私物でなくて仕事道具だと言っていたり、第5話のストライキで感極まったときに語尾が普通だったり……。「実は魚嫌い」というギャップがその延長なんだろうけど。
 
『Gのレコンギスタ#26(最終回)「大地に立つ」
総括。「型どおりでない」「定石を無視している」というのは、斬新であればこそ是非を語ることができるのであって、「型どおりではないけど80年代的古臭さが漂う」ではもう言葉も無い。あえてそうしているにしても、結果できあがった作品はただ稚拙なだけの『AGE』と大差が無い。

それにしても、『ブレンパワード』『キングゲイナー』というリハビリを経て、一時は『∀ガンダム』にまで到達したトミノ監督なのに、しばらく監督業を休んでいる間に『Zガンダム』の頃の作風に戻ってしまったというのはなかなか興味深い。宮崎駿とか押井守も年々酷くなってきたけど、ダメになってく過程は一方向でブレてないんだよね。まぁ多分、これが最後の監督作品だからこの先どうだとか言えないわね。

あー、でもロボットのドンパチ&チャンバラは近年のロボットアニメの中では出色の出来で、ストーリーやキャラクターは追わずにそれだけ見てる分には気持ちのいい作品でした。そこはちゃんと評価したい。

とまぁ、正直まともに取り合う価値の無い作品だと評価しているのですが、他所で長文書いちゃったんで自分のとこでも再利用。
http://www5.rocketbbs.com/751/bbs.cgi?id=micky&mode=view&tree=2896
エピローグから逆算しての思い付きだけど、シリーズ冒頭で「ベルリはテリトリィの生活に倦み、外の世界へ旅に出たがっている」という目的ひとつ示していれば、それだけで大方の問題は解消できる気がしてきた(笑)。

とにかくテリトリィの外に出たいと思っているから、当時は敵だった海賊の元へ行っちゃうし、月にも金星近傍にもひょいひょい付いていく。とにかく行って見てみることが目的であれば、何もせずに帰ってきてもマァ納得できる。

デレンセンは尊敬する教官であるけれど、テリトリィの抑圧の代表でもあったから、殺害を実はただ悔いるだけではなかったりする。

ルインの視点に立てば、長官の息子で飛び級生という生まれつき恵まれた境遇を捨てて旅立とうなんてフザケンナって話になり、あの激しい憎悪も理解できる。

物語の全体像としても、「ここではないどこかを目指す」という点でベルリとレコンギスタ勢力は通底し、対称形を成す。

それでももちろん問題は山と残るんですが、実際の作品はこの程度のことすらできてなかったわけで……。
 
テンカイナイト#51(最終回)「そして、始まり」
ビーグがいいとこさらっていった。そして最後にガーディアンらしく取り澄ましてる4人が怖い。つーかこいつら放っておいたら、またスペクトロス優勢になったらヴィクリプスに肩入れして「調和」を図るんだよな……。最後にブロックが光ったのってそういうことだと思うと割とヘビーだ。

シリーズ中盤以降は色々と微妙なアニメだったけど、中でもサルラルランド編はつまらないとかいう以前に「何故こんなことに!?」「そしていつまで続く!!?」という負のインパクトが強烈で、キッズアニメ界のエンドレスエイトとして、そして納谷六朗の遺作として長く語り継がれるべきだと思う。
 
『レディジュエルペット』#52(最終回)「トップオブレディへ」
(黄色の中の人、最後まで棒読みのままだったな)と思っていたら「あなたが一番成長したわ」言われてて吹いた。
 
『プリパラ』#38「み〜んなトモダチ、かしこま!」
最終回というか4月からの新シリーズへのブリッジ回だった。「新シリーズの設定はこうだから」と上のほうで決められて、それとの整合を取るのに1話かけた感じ(ていうか、これなら昨年までと同様に登場人物も一新すりゃいいのにと思ったり)。とはいえ、情に流されてしまうからファルルのプロデューサー失格だと自ら転属を選ぶユニコン、そのユニコンに自らの意志でついて行くファルル…という二人のキャラの掘り下げは巧くできていたし、ライラックの花、ペガサスの覚醒といったモチーフの使い方も綺麗。それでも全体的にはカオスな笑いに満ちている、という『プリパラ』らしさ全開で十分に見応えのある回でした。4月以降も当然見続けるけど、たぶん全話感想は無し。