「ゴジラ(1954・デジタルリマスター版)」

パトレイバー」第2章好調!
というわけで「ゴジラ(デジタルリマスター版)」を観てきた。
いやほら、パトレイバー押井守ビューティフルドリーマーゴジラというわけ。
 
しかしこの「ゴジラ」、上映館が少ないのは仕方ないとしてどこも真っ昼間に1回きり、良くて真っ昼間プラス真夜中(確実に終電が無い時間に終わる)とか、「観せる気あるんか」と問い質したくなる上映スケジュール。そんな中で有楽町だけはふつうにやっていたので、仕事を放り出して切り上げて行ってきた。そのシネマズシャンテの場所がわかりづらく右往左往を強いられて少々ムカついたが(この名前で何故に日比谷シャンテと別の建物にあるんだよ)、それはそれとしていい映画だった。

さんざん語り尽くされてる名作だし、私自身も前に一度ビデオで観ているので今さらストーリーがどうとか反戦テーマがどうとか小賢しいことは言わない。

ただただ、ゴジラ怖えぇぇぇっ!

映画館で観てよかった、とつくづく思う。製作者に(観客にも)はっきり残っている空襲の記憶が反映されているのだろう、ゴジラの直接的な破壊の描写のみならず、燃える町並みにゴジラのシルエットが浮かぶというロングショットや、避難民〜被災者の描写などまで、マァ寄っても引いてもゴジラが映ってなくてもとにかくゴジラ怖えぇぇぇっ! ここらへんはテレビ画面で観てもイマイチ伝わってこないだろう。

それと、前に観たときには陳腐だなと思ってしまった♪安らぎよ光よ 疾く帰れかしー が今は胸に沁みる。芹沢博士を最終的に動かすのは主人公の懇願でもヒロインの涙ではなく、名も無き人々の「平和への祈り」なのだ。それは私自身の感じ方の変化ではなく、唾棄すべきセカイ系的な価値観があまりにも広く普遍化してしまったためだろう。この頃はまだ自分自身と身内の外にちゃんと「社会」が存在していて、「世界」存亡の危機はその外の話だったのかと思い知らされる。
2011-01-29「セカイ系の浸透と拡散」
2013-06-30「「風立ちぬ」に感じるセカイ系(死語)の臭い」
……ああ、なんでこんなアタリマエを思い知らされるんだろう……。別の意味で涙が出てくる。