最近観たTV番組

ドキドキ!プリキュア最終回
山口亮太の名を覚えておこう。ブラックリスト的な意味で。

まぁ1〜4話とか今回のエピローグとかを見るにアイデアと大胆さを備えている脚本家ではあるようで、単発でやるぶんには特に問題ないんだろうけどシリーズ構成についてはもう能力以前に資質自体が無いとしか。ブログ内検索で自分の感想を改めて読むに、18話の段階で既に「予想以上に早かった。シリーズ構成がグダグタになるのが」と書いてたりします。いい勘してるぜ我ながら。ただしこれ、主にジョナサンの描写を見ての感想でして、そのジョナサンが存在意義を失うほどに破綻するとはさすがに予想できなかった。

王女がレジーナとキュアエースに分離していたことさえ知らなかった、レジーナと対峙しても何をどうとも感じなかった、ダミー王女が見つかるとアイちゃんほったらかしで雲隠れしてしまった、事態が大詰めとなったところでひょっこり再登場するも一度として役に立たなかったジョナサン。あれが大統領に就任っていうのは正直どうなんだと思うぞ。作品世界内の人々の意識でなくキャラ立ての手際としてさあ。

ジコチュートリオがどこかに行ってしまったというのも、そらまあ1万年くらいは大人しく力を蓄えるってことなんだろうけど、たしかグーラとリーヴァはキングジコチューが眠っている間に3つだか4つだかの世界を滅ぼしているんだよね? てことはトリオもほっておいたらダメなんじゃないの? それと残り2人。7つの大罪とか劇中で言及してないんだからその存在を描く必要は全くなかったし、描いてしまった以上はちゃんとケリをつけろと思う。どっちかにしろ、どっちかに。

話が前後するが、キング→プロトジコチューとの決戦においては、「他者無き世界では自己中心的には振る舞えない」というわかりやすいテーマに帰結。であるなら一度は「自己のみを中心に据えているが故に、キングジコチューはレジーナさえも亡き者にせんとした」という話をきっちりやるべきだったよね。実子という他人を自己の拡張と錯誤したまま「自己」中心的に振る舞っていた、その時点で何がジコチューかはワヤクチャになっていて結局整理されなかった。とくに終盤はレジーナがとにかく「パパを一人にできない!」で、父娘が分化(→対立)する流れを止めちゃってなぁ。まぁ子供には分かりづらいから曖昧なままにし、最後の最後に分かりやすくジコチュー的な振る舞いのプロトを出したってことなんだろうけど。

不満点を具体的に書きだすと個別の問題のようだけど、原因は結局「長期的構成(1年のシリーズを通しての構成)がまるでできていなかった」に尽きる。前にも書いたけど、できないならできないで「スマイルプリキュア」みたいに最初から長編としての構成を放棄したほうがいい。あれは幹部の入れ替わりすらなく盛り上がりに欠けた印象もあるけど、話が破綻しているよりはマシ。
 
「ウィザードバリスターズ 弁魔士セシル」
世界設定の見せ方の手際が悪いのか、そもそも設定の詰めが甘いのか。超能力を持つ側が不当な差別を受けているのに、マグニート―や兵部京介に相当する人物が(今のところ)いないのが不自然で、気になって仕方ない。あと、ウィサードをどうやって取り締まってどう逮捕するのか? とか。ていうか第1話の冒頭を見る限り、取り締まりも逮捕もマトモにできてない(苦笑)。そこらへんの設定の大穴は今後どう扱われるんだろう。
 
ガンダムビルドファイターズ
サイド6のテム・レイ部屋的なアパートから始まって全編にわたり小ネタてんこもり、本筋も「レイジが作るほうの楽しさを知る」というターニングポイントを丹念に描いていて、前回とはまるでムードが違うのにこちらも充実した回でした。セイパパが単に世界中を遊び歩いているのでなく国際ガンプラバトル公式審判員で、でも何故かガンプラマフィアを逮捕しちゃうという現実感とデタラメ感のバランスも巧かった。

アイラは、『こっちの世界の』でなく『日本の』B級グルメと言っていたし、回想の様子も含めて考えるにアリアン出身者ではない模様。んー。そうであるなら、前世界チャンピオンを瞬殺できた(その他飛び抜けて能力が高い)理由は何か、代わりの設定が欲しいところ。

それにしてもヤルキナイネンと言われていたのがウソのような変わりようだ。レイジと2人でワイワイとガンプラを作る様子が微笑ましい。そして今回初めて自ら進んでガンプラバトルに参加したわけで、今後に関わる重大な心境の変化となったか?

ただセイパパ、ビギニングガンダムはビギナー向けかぁ? スターターセットを2人で分担して、レイジがガンダムを、アイラがザクを作る、みたいな形でも良かったのではと思う。

それとマジメな話、つや消しスプレーを…という話をやるなら換気への注意喚起が欲しかった。かつてのガンプラブームで新聞種にされたことなんだし。
 
宇宙戦艦ヤマト2」
ファミリー劇場の集中放送で視聴。「さらば」はむかーし一度観たっきり、「2」は初見。なるほどこりゃ特攻賛美といわれても仕方ないやね。というのは単にヤマトの描写のみのことでなく、それと対置される地球の現状がね、ステレオタイプないわゆる「平和ボケ」でね。まー思想としては一貫されてます。

しかし、是非はともかく死んで終わった「さらば」はいいとしても、「2」ではメインキャラは生き延びちゃうという。それは「続編を作りたい」という製作者の下心によってで、まさに「平和ボケ日本」「空虚な繁栄に酔い痴れる戦後日本」「金儲けのためなら精神だって売り渡すエコノミックアニマルの日本」を象徴する変節なのでした。これが「おいおい批判の矛先を向けてたソレになっちゃうの?」と当時のファン離れを招いたんだろうなぁ。経緯と状況は知識として知っていても、ちゃんと作品を見ないと感覚では理解できないもんだね。

彗星帝国はあれだね。縦シューのステージボスだ。やっとこさ倒したと思ったら中から真のボス・超巨大戦艦が出てくるという。RPGのラスボスにも「倒したと思ったら変身」パターンがあるけど、なんていうか縦シュー。

ストーリーについては「サーベラーをとっととクビにしとけば楽勝だったやんズォーダー大帝」。
 
宇宙戦艦ヤマトIII」
H_Kofferさんがコメント欄で熱く語ってくれたことは印象に残ってますが、なかなか見る機会が得られず今回が初見。
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20060712
http://d.hatena.ne.jp/UnKnown/20071016
納谷悟朗のナレーションが妙にくどく、思い出すのは艦長でなく「キャシャーン」。「ヤマトがやらねば誰がやる」……って、ヤマトは「♪誰かがこれをやらねばならぬ」か。でも、移住先探しには他の宇宙艦艇も動員されてるし、ボラー連邦との戦いはデスラーがやるのがスジだしで、地球生命滅亡の危機だというのに悲壮感というか「やらねば」感がまるで無いという。それどころか、新たな脅威のはずのボラー連邦はいてもいなくてもストーリー上は大して変わらないんだから凄い。ある意味斬新。惑星ファンタムのあたりは「スペース1999」か「火の鳥 望郷編」みたいね。惑星ソラリスの海が元ネタだろうけど。

デスラーについては、「新たなる旅立ち」飛ばして「2」から「III」だったので「一体いつの間にこんな丸くなったの? 古代との友情って???」とかなり謎でした(ダイジェストでこれまでの経緯を説明してくれる回あり)。

「ガルマンウルフ」ことフラーケン少佐は確かにカッコよく、「2199」にも登場したのもうなずけるのですが、でも目的を教えることなく指揮下の潜航艇2隻を囮に使ったのは普通に酷いぞ。