2人のキング、2人の父親

19日のニチアサ、ともに「キング」と呼ばれる2人の父親の描き方が対照的で面白かった。『獣電戦隊キョウリュウジャーのダンテツは、地球を守るという大義のためには親友だって殺すし息子とも戦う、一方でドキドキ!プリキュアのトランプ王国国王はというと、娘一人を救うために国民というか国全体を犠牲にしちゃった父親で、しかも「父親ってそういうものなんだから赦そうよ」というお話に。

まぁ単に脚本家のセンスというか力量の差が出ただけだと思ってますが、そこはいったん棚上げして「男児向け・女児向け」の差だと見ると興味深い。対象年齢層はさして変わらないはずだし、どちらも基本的には「問題事は戦って解決する」作品なのに、ジェンダーの差が明確に表出している。男児向け番組は「そこに大義があるなら父子の対決もあるのだ」と描き、女児向け番組は言ってしまえば「国より国民より身内が大事」というメッセージを躊躇わず発信してるのね。それはある意味当たり前なんだけど、「女の子だって戦いたい!」がキーコンセプトのはずのプリキュアジェンダーフリー志向では決してなく、こういうレベルでは保守的というか、前時代的に「女の子向け」なんだなぁと思ってしまう(一緒くたに「プリキュア」と言わず、「ドキドキ!」に限って言うべきでしょうがそれだとやっばり脚本家のセンスというか力量の話になっちゃうので棚上げ)。

「キングはなぜキングか」という側面を見ても、ダンテツはそもそもキングでも何でもないんですよ。何の権限も持っていないし、出自がどうということもない。ただ人々に慕われて、誰からともなく「キング」と呼ばれるようになった。王なのに実に民主的だ(笑)。「実力と人望がある」という理由、「人々に承認される」という背景があってのキングなんですね。対してトランプ王国国王はステレオタイプな王様で、先王の子だから王になれた人、生まれながらの王と見ていいでしょう。何の理由も背景もない、だけど王様。王(キング)になった過程が描かれていないのは同じでも、『キョウリュウジャー』は「出自とは関係無く王になれる」世界で、『プリキュア』は「能力とは関係無く王になれる」世界。やはりそれぞれ、「伝統的な」男性的・女性的価値観といえるでしょう。

『ドキドキ!』は私が観てきたプリキュア(『プリキュア5』以降)でワースト級に不出来なシリーズですが(「つまらない」「嫌い」以前に「不出来」)、見方を心得れば出来不出来がどうあれ面白いものが見えてくるものだなと改めて思った次第。