最近見たTV番組

聖闘士星矢Ω
玄武はいつ五老峰の老師に師事したんだろう? 紫龍以前でしかあり得ないから、一時は白銀聖闘士となって前作の時期を過ごし、老師の死後に天秤座の聖衣を受け継いだってところかね。少々無理を感じる設定ではありますが、いちおう説明は付くか。
聖闘士の設定故にこれまでバトルでは使われることのなかった(よね?)天秤座聖衣の武器が、ついに剣対剣という形で振るわれるというのはちょっとワクワクする。
 
「獣電戦隊キョウリュウジャー
他の4人とは比べ物にならないダイゴの強さを描写したうえで、
「お前には弱さが無い、だからそれ以上強くはなれない」
「そんなこと、どうやって直しゃいいんだよ?」
「俺が知るか。」
と最後にひっくり返すのが面白かった。言い方を変えれば単に「克服すべき課題が無い」とか「目指すべき目標が無い」という程度の話なんだけど、それを「弱さが無い」という明快かつインパクトのある一言にまとめ、さらに「俺が知るか」でダメ押しする言葉選びは脚本・三条陸の手腕ですかね。
 
ドキドキ!プリキュア
「小娘」「おばさん」と罵り合う田中敦子渡辺久美子……年齢差としてはアリなのか。でも正直どちらも以下自粛。

今回はバカ話基調のゲーム回なので細かく突っ込んでもしょうがない。まぁ、もうちょっとアイデアがあればと思いますが。自ら歩ける大量のピン→キュアソードの攻撃を避けようと押し合いへし合いになって将棋倒しで全滅、みたいな自業自得展開もあり得たんじゃないかな。

そして登場3話目にして全くの役立たずになっているクロンダイク。ゲーム後のバトルの段階で援護攻撃するとか、脱出の際に外から手を伸ばすとか、そういう見せ場は作ってあげても良かったんでは。

やっと言葉がしゃべれるようになったばかりのアイちゃんにいきなり審判を任せる、というシュールな絵に「うっ…さりげなくアイちゃんのパワーが封じられたわ!」というシリアスな台詞を被せてくるあたりは可笑しかった。
 
宇宙戦艦ヤマト2199
先日、某学園の学園歌というものを聞いたのですが、そのイントロが♪さらば〜地球よ〜 ソックリで耳を疑った。これで作曲は宮川泰でしたーとなればオチが付いたのですが、作曲は黛敏郎。これってパク…
閑話休題。前回に引き続き、「女神」の存在が断片的に描写。艦長と真田さんはやはり知っているとして、様子を見に行くよう命じた相手が森雪なのは何か意図があってのことでしょうか? そして艦橋に戻ってきた雪が「何も異常は…」と報告したのは……まぁスルーすべきかな(何故そこで「岬さんが倒れていて…」と言わなかったのかなー? と)。
前回「同じルールの将棋がさせる相手」という程度の認識だったのが、いきなり地球の言葉でコミュニケーションが可能で、そのうえ停戦交渉&協力だとか、艦長同士・戦闘機乗り同士で心を通わせたりとか、普通以上のコミュニケーションができているのは拍子抜け。まぁ序盤のうちから降伏勧告だとか「バカメ」とかやっていたんだから、前回のほうがむしろ脱線気味だったんだけど。
ただ、会話が可能だというのはいいとして、宣戦布告無しでの開戦は蔑まれる行為である、という認識まで共通のものとなっているのはどうかと思わなくも無い(そのうち白旗上げて降伏する話なんてのもあるかもしれんぞ)。
それはさておいたとしても、地球にはワープの技術が無かったというのがガミラス軍の共通認識だろうに、何故にディッツ少尉は「テロン人は宣戦布告も無しに攻撃を仕掛けてきた」と信じて疑わないのか? 赤だ青だと誉めたり自慢したりする間にそこらへん詳しく聞いてよ山本さん。
ガミラス人は卑怯で小狡く、二等臣民のほうが勇気あふれていて高潔、という描写が続く。ワンパターンに陥りかねない気もしますが、これが終盤で反乱というか革命が起こる流れになっていくんですかね。