「ゆめのかよいじ」感想、脚本編(バレ)

そんなこんなで昨日から新潟でも上映されている「ゆめのかよいじ」の感想、今度は脚本について。
まず何といっても台詞がいちいちダサい。
……のはマァいいや。私の好みの問題が大きいし、43の脚本兼監督が今どきの(といっても8年も昔の設定なんだが)高校生の会話を書いた、となればこんなもんだろう。

だけどさぁ、それならそれで「ゴーイングマイウェイな感じの人」(うへぇ)とか「心が風邪をひきそう」(うげぇ)とか、そういうレベルのセンスで統一してよ。ところどころで原作準拠の台詞が無造作に、未消化のまま出てくるのが不自然でしょうがない。

ていうか、たとえば「手沢」に関する会話のくだりなどはシーンそのものが未消化だ。「転じて、死んだひとの愛用の品って意味もあるわ」という話なのに、例示されるのはなぜか学校の廊下の時計と、お社の扉。
バカ?
なんでそこで個人の品でなく(だじゃれではない)公共物なんだ!?? このセンスが全く理解できない。扉をなでて「ここにも手沢」って、そうじゃないだろ! そっちは「木がつやつや」のほう!! ここは「故人の愛用の品」のほうに話を広げるとこでしょ!? 導入部からすれば、真理が何か父親の形見を握りしめるところだし、ラストから逆算すれば、梨絵が何か自分を思い出すよすがとなる小物を託すとか、そういう流れじゃないの?

なんというか、「原作にあるちょっとイイ感じの会話だから入れてみた」というだけ。ストーリー全体の流れに組み込めていない。

……うむ、さすがに一週間経つと忘れてきてるな。今回はこんなところで。気が向いたらもう一回、全体構成についてまとまった感想を書くかもしれないが、とりあえず一言だけ。「父親の死のショック」、という物語の出発点をほったらかして終わらせたらダメだろ!



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