マヌケ過ぎる本屋大賞批判

気持ちはわかるが支離滅裂。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20120509/1040877/
日経トレンディネット」トレンド・フォーカス2012年05月17日付。
初出は『日経エンタテインメント!』6月号。
 
“本好きの代弁者”から変容――本屋大賞はどこへ向かうのか?
 
(略)
本屋大賞は、書店員による草の根的な活動として03年に生まれた文学賞。著名な文学賞は選者が文学界の権威ばかりのなか、選者が本好きの代弁者ともいえる書店員という特性は画期的で、「読者の実感に近い文学賞」として人気と知名度を高めていった。(略)

大賞受賞作としては、第1回の『博士の愛した数式』(小川洋子)、第4回の『一瞬の風になれ』(佐藤多佳子)、第7回の『天地明察』(冲方丁)など、「知る人ぞ知る」作品を選出。ヒット連発の実績は、文学賞としての地位を確立させ、「現場をよく知る書店員だから発掘できる良作」の期待も高めていった。

しかし他方で、第3回の『東京タワー』、第6回の『告白』、昨年の『謎解きはディナーのあとで』など、受賞前に何十万部も売れたベストセラーが選ばれることに対する批判も受ける。今回も、シリーズ累計発行部数が200万部超の『ビブリア古書堂の事件手帖』や、『舟を編む』『ジェノサイド』といった、増刷を重ねたり文学賞などで話題になったりした作品もノミネートされた。

出版業界に詳しいフリーライター永江朗氏は、「人気投票という方式のため、最終候補がベストセラーに偏るのはしかたない」と言う。「多くの書店員が投票したということは、発行部数が多いからより多くの書店員の目に触れたということです。最近の文芸書は発行部数が3000部などということも少なくありませんが、3000部だと配本される書店は全国でもせいぜい500店程度にすぎません。その意味で、本屋大賞は隠れた名作を発掘するのではなく、『既に売れている本の中から、もっと売りたい本を書店員が選ぶ』賞になったのだと思います」。

本屋大賞は隠れた名作を発掘するのではなく、『既に売れている本の中から、もっと売りたい本を書店員が選ぶ』賞になった」……ってあの〜。それ、『東京タワー』が受賞した第3回から言われてますが。もう6年も前ですぜ。何を今さら「“本好きの代弁者”から変容」だよ。

でもまぁ、ここまでなら話はわかる。埋もれた良作にスポットを当てる賞だと思っていたのに、売らんかなの商業主義になってしまったのは、確かにガッカリだ。

ところがこの記事、後半が酷い。

活字好きな書店員にウケやすいかが今年のノミネート傾向だったということになる。最終候補に残った作品には、発売前に出版社が書店員に見本を配った作品も少なくない。本屋大賞は、「書店員が選びやすい本の中から好みの作家を薦める」賞に偏りつつあるのだ。

??? 「活字好きな書店員」にウケる作品、書店員好みの作家の作品が選ばれるなら、それはまさに「本好きの代弁者」が選ぶ賞でしょ。一体何を非難してるんだ?

本屋大賞には個人の好みではなく、売り場を知るからこそ選べる「読まれるべき一冊」を反映させてほしいものだ。

え? あれ? 書き出しでは「本好きの代弁者ともいえる書店員」が選ぶから「読者の実感に近い文学賞」だと評価していたのに、どうして締めでは「個人の好みではなく『読まれるべき一冊』を選べ」になるの? 「読まれるべき一冊」なんて、それでは「文学界の権威」が選ぶ賞と同じじゃないか。
この記事書いた記者は、とにかく本屋大賞を批判したくてたまらなくて、目につく端からトピックを記事に放り込んでいったのだろう。これという持論も無いままに。
記者はもうちょっと、論の組み立て方とか、文章整理とかを勉強すべきではなかろうか。それこそ、ベストセラー小説でも読んでさ。