東京都青少年育成条例改正案

前回の「非実在青少年条例案のプレゼンと造語力」(2010-03-11付)について、コメントのお返事を書いていたら長くなったので新エントリにしてみました。

まー、この条例案について真面目な話をするとなると、本当は「何が犯罪を誘発するか」以前のレベル、「不道徳はどこからが犯罪か」みたいなとこから始めたいんですよね…。「被害者がいるかいないか」という問題よりもさらに前、「何が社会を成立させていて、何が<それ>を脅かすのか」という話から。

しかしキリがないので根本の根本はさておいて、ともかく「18歳未満を性行為の対象にする表現は不道徳である」を是としてみる。その点、現行の法・条例は、その表現に対する抑止効果は十分でない、といえるでしょう。

一方、法・条例レベルの規制強化にならないように(「お上」を牽制するために)業界団体なり出版各社なりが自主規制をもうけているわけですが、じゃあ今回の条例改正案に対して「いいえ我々はきちんと自らを律しています、今の我々の自主規制を保っていれば青少年の健全な育成を阻害することはありません」と胸を張っていえるかというと、まぁそうではない(「レイプレイ」騒動のときの対応はベターだったと思ってますが)。

だから、意外に思われるかもしれませんが、私は「18歳以下に見えるようなら非実在の人物でもNG」という部分に関してはやむなしというか、そういう発想が出てくるのはむべなるかなと思っています。「みんなが制服着て通ってる「学園」の後輩が攻略対象なのに、登場人物は全て18歳以上」くらいの矛盾で済ましておけばいいものを、現状「18歳以上です」と唱えりゃ何でもアリですしね。マンガのほうはそれさえ出来てないし。何でもアリに網をかけるためには、条例のほうも対象を無限に拡大できる文言を盛り込むことになる。ここらへん、一面では「自主規制」を求められている側の戦略ミスだとも思います。

しかし今回の条例案、下手に無限に拡大できる文言にしちゃったもんだから(あるいは「この際まとめてやっちまえ」と思ったのかもしれませんが)、本来はあんまり関係の無い層まで反応しちゃった。実際、案のとおりに改正が成立したら無関係とは言ってられなくなるから当然といえば当然ですが、ここらへんが児ポ法の進め方(どういう側面に対してであれ反対を唱えたら、犯罪者の仲間扱いされるような、強固な「社会正義」を備えている)に比べて実に浅薄で拙い。

しかもどうやら条例案を作った側は、「牽制」とか「抑止力」とかいう発想ではなく、「成立したら行使する」つもりのようで(ここらへんは巷間の核脅威論/核武装論のペラさにも似ている)、そういう単純バカの思うように事が進むのは気分が悪い。なのでまぁ、少しばかり茶々を入れてみたのが前回のエントリです。「現実がどれほど苛烈でも想像力の世界は侵犯できない」という「未来世紀ブラジル」みたいなテーマも込めて(嘘です、今考えました)。

>金さんこと遠山左衛門尉景元さんは、天保の改革で春本(当時のエ□小説)と
>同時にこれよりもソフトな表現で読者の想像に任せる当時の女性に人気のあった
>人情本(寸止め表現の甘い恋愛小説)までもがエ□いとして、弾圧しちゃった

んー、「結果」どういう社会になったか、どういう文化が育まれたか、どういう文化は芽が摘まれたか。私の興味はそちらですね。前にも触れたとおり(2009-07-27付『創』に「レイプレイ」記事)、アメコミには文化が無い、みたいに言われると腹が立つし、「アメリカの漫画業界が衰退した」ことと厳しい規制との因果関係は立証できるか? となる。規制反対派にこの言葉が跳ね返ってくるわけです。金さんなり米国コミックス・コードなりの実例の、規制推進派の視点での評価を聞きたいところです(←「ま、こういうところで頭を使う人は推進派にはならないけどね」という皮肉。無知は恥だが浅慮は罪です)。