東京駅はこうして誕生した

東京駅はこうして誕生した (ウェッジ選書)

東京駅はこうして誕生した (ウェッジ選書)

タイトルどおりの内容。東京駅が生まれた時代背景と、生まれたことが時代に与えた影響とを一冊にまとめている。それなりのボリュームながらも、「研究書」というより「読み物」というべき文章・構成なので、かなり読みやすくまとまっている。
しかし、JR絡みの出版社であるウェッジ選書だからだろう、ひたすらヨイショヨイショの太鼓もち状態で東京駅を持ち上げる。「大英断」と「画期的」のバーゲンセール状態で、読んでいて気持ち悪くなるほどだ。
行き過ぎた『ヨイショ』は『良い書』を損ねるのだな、なんて駄洒落で落としてみる。



え? オチてない? ま〜ではもう少し具体的に書いてみよう。例えば「東京駅は建築史のなかでは、実はさほど高く評価されていない」という割と有名な話。この本でも一応はふれているのだが……。

当時の建築家たちには必ずしもよい評価を得ることはできなかったようで、「辰野式ルネサンス様式」と揶揄されたりもしている。現在でも同様の指摘をするむきもある。

で済ましてしまい、「当時のどの建築物よりも傑出したものに見えたはずである」という大仰な賛辞を送って締める。
いやいやいやいや、ダメなものはダメとはっきり言おうよ。その上で、「建築史上の評価は決して高いものではない。しかし公共建築の評価は、そうした専門家筋による専門的な判断だけを拠りどころにすべきではないだろう」とか何とかひっくり返して、

一般の人びとには(中略)とてもわかりやすく映ったようで大好評であった。

とすればいいじゃないの(尤もこのくだり、「大好評であった」の根拠となる史料が明示されておらず、アタマから信じられるものではないのだが……)。

また、乗車口と降車口が遠く離れた、開業当時の独特の構造についても批判的には書かない。全長334.5メートルにも及ぶ長大な駅舎の、南の端のドームが乗車専用口、中央に皇族専用乗降口を長〜く挟んで、北の端のドームが降車専用口という、ムチャクチャな設計ですぜ? 『図説 駅の歴史 東京のターミナル』(asin:4309760759)はキッパリとこう書いてます。

入口と出口が二五〇メートルも離れた、きわめて不便で実用性の欠落した配置となってしまった。
(略)
毎日の利用者は後回しにしても、天皇を中心とする国家体制をそのまま示したような施設の配置が採用されたわけである。
(略)
使う側の立場を尊重した合理性の認識が、まったく抜け落ちていた。

並の想像力がある読者ならば「確かにこんな駅は使いづらいよな」とうなづくところでしょうが、これすら『東京駅はこうして誕生した』にかかるとこんな調子です。

乗車用の南棟と降車用の北棟が互いには連絡しておらず、それぞれへの行き来に困ることになった旅客もいたという。

「いたという」じゃないだろ、「いた」よ絶対。

すこし合理機能に一辺倒にすぎたのかもしれない。

どこが合理的なの?

あるいは、これほど巨大な公共建築への理解が、未熟であったといえる時代でもあっただろう。

挙げ句、旅客のせいするか貴様は。つか、「時代でもあった」じゃないだろ。そんな不便な構造の公共建築なんて、どんな時代だって総スカン喰らうっての。

とまぁ、そんな感じで実に気持ち悪いのだ、この本は。著者の経歴をみるとPR誌の編集長を務めていた人物とのこと。そのあたりで培われた、「会社(あるいはクライアント)を否定するような言説は最低限にとどめなければならない」という意識が働きすぎているのかもしれませんね。