杞人の憂いを払ったもの

「杞憂」という言葉、その意味はいまさら説明するまでもないでしょう。取り越し苦労のことですね。由来もなんとなく聞いたことがあるものと思います。「古代中国の杞という国の人が、天が落ちてくるのではないかと心配していた」とかなんとか。
 さて、ではその人はずっと心配したままだったのでしょうか。この故事を「バカなことを心配する人もいたもんだ」という笑い話と勘違いされている人も中にはいるかもしれませんが(私自身がそうでした)、この杞の人は、実に友人に恵まれていたのです。

杞憂(列子:天瑞)
昔、杞の国のある男が、天が崩れ落ちてくるのではないかと心配し、食事ものどを通らず、夜も眠れずにいた。それを心配した友人が、『天は気が固まってできているので、絶対に崩れることはない。』といって安心させようとした。しかし男は、『それなら月や星が落ちてきたらどうなるのだろうか』とまた心配するため、再び友人は『月や星も気が固まっているだけなので、落ちてきても怪我一つしない』と説明し、ようやく杞の国の男を安心させた。 

(『放松 FangSong(ファンソン)』中国故事解説より引用)

「天が崩れるはずがない」「星が落ちてくるわけがない」と一笑に付して終わらせず、そんなとうてい起こり得ないことでも「何故起きないのか」をきちんと説明したんですね。いいヤツだなぁ。これで杞人も安心です。
ビジネスマンであればこの故事から、「たとえ杞憂の類を言うような相手であっても、きちんと説明すれば安心を与えられる」との教訓を読み取るべきでしょう。……あ、コラコラ、「その説明内容が真実かどうかは問題ではない」なんて余計なことまで読み取ってはいけませんよ?(天が崩れないのは気が固まってできているからです、これ常識) また、自分自身のこととして「杞憂を抱いたときにも、背景にある理屈を追求すれば、それを晴らすことができる」なんて前向きの思考法につなげるのも健康的ですね。



現在ちょっと、広く一般(つかビジネスマン層)向けを意識した「トリビア含みのちょっとひねった思考法」的ブログ開設を思案中。今後もパラパラとその試作品をこちらに書くことになると思います。