戦え!超エアクラフト生命体ドークスフォーマー

ル・コルビュジエ『建築をめざして』読了。

建築をめざして (SD選書 21)

建築をめざして (SD選書 21)

建築・設計の専門家が本来の対象読者で、書かれたのはWW1後でWW2以前(1923年)だから既に古典というべき本で、そのうえ翻訳も版も古くて(1967年初版、2005年第30刷)不親切で、実に読みづらかった。読み終えはしたけど3分の1も頭に入ってないよ。まぁ、モダニズムの精神について、当事者のひとりの言葉に触れられただけでも有意義だが。
で、なんでこの本に手を出したかというと、かつてここで取りあげた(04年12月29日付) 散文詩の元ネタだからだ。

生ける機械
カタピユルトより、魔物が飛び出すのを見ろ!
 ヂユラルミンの腕が、虚空にうなるのを聞け!
鳥でもなければ、龍でもない。
 ――それは「生ける機械」だ、有機物だ。
「想像」と、「凍つた理性」とが、
 パルテノンを造つたと誰やらはいふ――
あのパルテノンか。そんなものは笑破してしまへ!
 そら見ろ。怪奇なドルニエーDoxが、闊歩するではないか。
(『飛行機と想像力 -翼へのパッション』(ISBN:4791760980)より孫引き)

この「誰やら」が、誰あろうル・コルビュジエであった。『建築をめざして』にはこのように書かれている。

飛行機は確かに、現代工業の中で、もっとも高級な淘汰の産物であろう。
戦争は飽くことなき注文主であった。決して満足せず、いつももっとよいものをと要求する。成功せよという命令であり、誤りはただちに死に通じるものだった。したがって飛行機は創意と知性と大胆さとを動員したと言明できる。すなわち<想像力>と<冷静な理性>とを。その同じ精神がパルテノンをつくったのだ。

これはモダニズム以前の建築の主流、様式建築を批判しての発言。様式建築は合理性(冷静な理性)をほったらかしてるばかりか、創造性や感動を呼び起こすもの(想像)もない、とかまあそういう主張だ。現代の科学技術の粋である飛行機と、古代の神殿パルテノンとを同列において様式建築を批判する。これはパルテノン礼賛ではなく、むしろ飛行機を持ち上げてるわけで、作者・多田憲一の詩的なイマジネーションは一体何を以ってパルテノンを笑破せよというのか、わけがわからなくなった (苦笑)。
 
うーん、「いつまでもただ建築のままのパルテノンよりも飛行機のほうが格段に優れているじゃん!」とかそんなところか。詩的にいうと……凍った理性によって生まれ、合理性の先鋭として進化してきた飛行機は、しかし合理の果てについに理の鎖を断ち切り、想像を越えた一個の生命として飛翔しているのだ……てな感じ?
 
いずれにせよ、元ネタのル・コルビュジエの発言を知らなければ、この詩にパルテノンが出てくる理由がわからないはず。どういう人を「受け手」と想定しての詩だったのか(あるいは、ル・コルビュジエはそこまでの超有名人だったのか)もちと気になる。

あ、蛇足ながらタイトルは「生ける機械 Do-X」ってネタで。「Do-X」はドルニエ・テンかと思っていたが、ディーオーエクスもしくはドークスでいいようだ(ドイツ語読みはわからん)。