本当はこわいおとぎ銃士(解決編)

ずっきゅ〜ん♪(←挨拶) 承前、この歌の「私」は最初から、現実から逃避して「今は童話の中」なのだ! 
そう考えれば「扉」とは言わずもがな、現実へ帰還するための扉。童話の住人ながら現実への扉を示す、という矛盾を背負ったフェアリーはすぐさま去らざるを得ない。私を呼ぶのは現実世界の親御さんか友人でしょう。唐突な「さみしいなら」もこれなら辻褄が合う。現実の孤独感に苦しんだ挙げ句に童話の中に行ってしまった私に対する、現実からの呼びかけだったのだ。物語内世界との対比だから「冷たい 甘い」という身体感覚が強調されている。
「がんばるとき つらいとき」に「お話が好き」なのは、お話の中にはがんばりやつらさの要らない世界がある、という後ろ向きな私の態度。だからこそ童話の中に行ってしまって「だって素敵だわ」……。
それほどまでに苦しい現実とはなんだったのか? その答は最後に出てくる「恋人でいて なんて言えないの」という恋の悩みだ。「冒険とかしてみましょう」は、「童話=冒険」という固定観念を利用したミスリード。ここには実は「現実を生きることが冒険」というメッセージがこめられている。銀の迷宮=童話の中でさえ恋人たり得ないのだから、残された選択肢は「ちょっとずつ」でも現実を生きることのみ。そして、そう、「そこから始まる」のだ!!
……皮肉のつもりだったのだが、おそろしく綺麗にまとまってしまった。2番の歌詞はどんな調子なんでしょう?