[雑感]懐かしさの混沌#1

地下鉄銀座線京橋駅に「フェーンチャン 〜ぼくの恋人〜」という映画のポスターが掲出されている。このポスターに書かれたコピーが、なんだか奇妙な感じなのだ。

(略)
ぼくはすぐに小学生のあの頃の事を
鮮やかに思い出した。
ドラえもん、タッチ、ゲームボーイスーパーカー消しゴム、
ホームランバー、秘密基地、隣町への冒険、
アイドルのヒットソング、ゴム採り、ヌンチャク、
紙の着せ代え人形、ゴム跳び、おままごと、
バイクの荷台から父親の肩越しに嗅いだ夏草の匂い、
夕暮れ時の家々からこぼれる夕飯の香り……。
(以下略)

「ぼく」は一体何歳だ? 時代がばらんばらんである。……いや、わかってます。これはタイの映画だから、かの地ではゲームボーイスーパーカー消しゴムも同時代だったのでしょう。大体、「懐かしいなあ、ヌンチャク。子供のころよく遊んだよ」なんて人は日本にはいないって。このあたりは映画の内容どおりなのでしょう。
それでも、なんというかまぁ、このゴチャゴチャとしたイメージの羅列、混沌とした「なんとなく懐かしい感じ」には、ちょっと胃の底からこみ上げてくるものがあります。『タッチ』の名を出す許可が縁となってか、あだち充がコメントを寄せているのですが……。

舞台をそのまま日本に置き換えると、60年代でも70年代でも、それぞれの少年、少女時代で気持ちよく、そしてせつなく遊べます。

60〜70年代にゲームボーイは無えよというツッコミはさておき、あだち充は「この映画には普遍的な『懐かしさ』が描かれている」と言いたいのでしょうが、それよりもむしろ「自己の体験に基づかない、イメージ上の『懐かしさ』を感じる仕掛けになっている」ことのほうが強く意識されてしまいます。(つづく)