13480円のPC

久々に、予備機として手元に残していた98NOTE(PC9821Na9)の様子を見ようとしたら、まず電源が入らない。2,3年ほったらかしだったからなあ……。多分バッテリーかACアダプターの不調だろうが、修理するのも億劫だし、そもそも修理に手間をかけるほどの機体じゃあない(苦笑)。生まれて初めて自分の金で買ったパソコン、あれやこれやで40万円(!!)コースの買い物だったから記念に残しておいただけで、実用に耐えるものではないのだ。
 とはいえ、デスクトップPC1機(eMachinesのなんとかという安物で、スペックどころか型式すら覚える気にならない。PC9821Na9はやはり別格)のみにあれやこれやを集中させたまま予備機無しでは不安なので(その割には予備機ほったらかしだったやん、とかいうツッコミは不可)、新たに買い足すことにした。
 「中古で十分、WIN95以上のOS付、USB付のノート機」という条件で探ってみたら……。なんとまあ、WIN98SE機で1万円とか1万3000円とかからあるよ。予算3万円程度を考えていたからちょっとびっくりだった。
でもって本日、商品が到着。NEC LaVieNXLW33H/8、LANカード付、OSはWIN98SE。代引き手数料と併せて13480円なり。あくまで予備機の位置付けだったが、これ普通に現役で使えるなぁ。
特にありがたいのはUSBが使えること。1.1で1口だけとはいえPC9821Na9とは使い勝手に雲泥の差がある。「それは比較の対象が……」とのツッコミもあるだろうけど、わずか数年でPCってえらい進歩したんだなあと実感。一方で、そのLaVieNXが現役で使えてしまうという進歩のアンバランスも面白い。

夢分析とノイズ文化論

承前。
唐沢商会の『能天気教養図鑑』(asin:487728558Xまたはasin:4792602173)は、「夢の話を人がしはじめたらそれに対処する方法」として、こんな話を紹介している。

こないだおもしろい夢みちゃってさ。塔があってさ、そこに登るの。
「高い塔か。典型的なペニスの象徴だな」
そんなに高くないんだよ。
「それはおまえのペニスが小さいという意識のあらわれだな」
ヒヨコがいっぱいいるんだよ、部屋の中に
「ヒヨコか。ヒヨコは何を喰べる?」
ミミズかなあやっぱり。
「それはお前のペニスがミミズなみだという意識下の悩みの象徴だな」
で、その部屋で俺、カレーライスを喰べはじめるんだ。
「それはお前のペニスが小さいということだな」
何でだよっ!
「カレーライスのつけあわせは?」
花らっきょう。
「らっきょう並だというコンプレックスのあらわれだな」

東京大学「ノイズ文化論」講義を読むなかで、なんだかこれを思い出してしまったのである。ある事例を目の前にしたとき、それを強引にフロイト心理学なりノイズ文化論なりの枠組に落とし込む。まず結果ありきで分析しているからどうしたって強引になってしまう。
もうちょっと真面目に言うなら、「それを「ノイズだ」と言う宮沢章夫がいる」ために……個々の事例に対して「ノイズ」というレッテル貼りが行われるために、各事例が本来もっている個別性は剥奪されてしまう(=ノイズが排されてしまう)のだ。
読んでいてどうにもイラつくのは、著者はそのことに無自覚らしい、という点。自分のやっていることの矛盾に気付いていて、あえて目を逸らしている、わけではないよな……。エクスキューズが無いし。
私は別に「我は我である。」式のことを言っているのではないのよ。ある社会なり文化なりの枠組みの中に、宮沢のいうノイズが存在したとして、それは宮沢語の「ノイズ」では無くその枠組みの中において「排除されがちな何か」「非主流の何か」として扱わなければならないと思うのだ。そうでなければ、「その何か」を「それ」として分析することはできないし、「ノイズだ」と名付けた時点でそれはもうノイズでしかないのである。
「そうしたものを横断的に扱うことにノイズ文化論の意義があるのでは?」という向きもあろうが、宮沢の論はあまりにも手を拡げ過ぎで、あまりにも散漫で、そうした意義すら獲得できていない。音楽のジャンルとして成立した『ノイズ』。酒鬼薔薇事件で噴出したニュータウンの『ノイズ』。被害妄想の喫煙者である著者が自己憐憫に用いる、喫煙という『ノイズ』。近視眼的なマスコミが排除する、情報の中の『ノイズ』etc.etc.… もしも宮沢がそれらを「ノイズ」と名付けなければ、もとより同列で扱うべくもないものが、あまりに多いのだ。
つづく。