嘘を吐かずに読者を騙す記事…「大学関係者の英語不要論」?

醜い記事を見た。
酷いというか、醜い。
なので久々にメディアリテラシー・トレーニング。

「英語」は本当に必要なのか…大学関係者から漏れる“英語不要論”
産経新聞 12月25日(木)8時5分配信

文部科学省中央教育審議会で、子供たちが実用的な英語を学ぶ環境づくりを進める議論が本格的に始まった。平成28年度にも改定される新学習指導要領では、小学生高学年から教科として導入される見通しだ。高校でも討論や交渉力を高める方針が示されている。だが、英語教育の“抜本的改革”は過去幾度となく繰り返されながら、子供たちに英語力が身についたとの実感が乏しいのも事実。改めて考えてみたい。英語って本当に必要なのか−。
 
■日本の英語教育に根本的疑問も

文科省は12月2日、「英検」や「TOEFL(トーフル)」などの民間資格試験を、大学入試に活用できるかどうかを検討する有識者会合を立ち上げた。席上、活用の是非とは別に、有識者から日本の英語教育そのものへの根本的な疑問が相次いだ。

一部の教育関係者からは、「英語教育は必要」としながらも、差し迫った課題ではないとの意見も聞かれた。

全国公立短期大学協会副会長の中村慶久委員も英語教育の改革を「えらく遠い話のように感じる」と話した。短大教育が医療や福祉、保育などの分野の比重を高める中で、英語教育の推進に対する教育者側の感覚的な違和感ともいえる。
 
■中高生の半数…「英語使うことない」

子供たち自身は、英語学習をどのように受け止めているのだろうか。

ベネッセ教育総合研究所が今年3月に全国の中高生約6200人を対象にアンケートを行ったところ、中高生ともに9割以上が「仕事で英語を使うことがある」など社会生活での英語の必要性を感じていることが分かった。

一方で、「自分自身が英語を使うイメージがあるか」と尋ねたところ、中学生の44%、高校生の46%が「英語を使うことはほとんどない」と回答。調査を担当したベネッセ教育総研の加藤由美主任研究員は「日本の大部分の子供たちは教室の外に出れば、英語を使う環境にないのが現状。ただし、メディアなどにより『英語が必要』という意識はある」と説明する。

さらに学校での授業内容についても、中高の約8〜9割が「英文を日本語に訳す」「単語の意味や英文の仕組みについて先生の説明を聞く」と回答するなど、受け身的だ。一方で、授業で自分の考えなどを英語で話す機会は中学2年の55%をピークに、学年が上がるごとに低下。高校3年の時点で26%にとどまっており、「授業での学びと、英語を使うことにも大きなずれがある」(加藤主任研究員)のが現状だ。
 
■財界は「企業が語学教育せざるを得ない」と嘆く

だが、教育界の英語教育熱は高まる一方だ。文科省が進める改革では、「読む」「書く」「聞く」「話す」−の4技能をバランス良く盛り込んだ実用的な学習環境づくりが喫緊の課題とされ、議論が進んでいる。

12月2日の文科省有識者会議では「(英語教育の)必然性はない」と述べた委員らに対し、財界側から出席した日本経済団体連合会経団連)の教育問題委員会企画部会長の三宅龍哉委員が「ビジネスにおいては必然性は高い。社員を海外駐在などへ送り出す際、(企業が)語学教育をせざるを得ない現状だ」と正反対の意見を述べた。

こうした実用的な英語力の必要性は、昭和30年に当時の日本経営者団体連盟(日経連、現経団連)が「会話力を身につける」などと要望を出すなど、これまで幾度も繰り返されてきている。なぜ、英語力は身につかないのか。

大学入試センター教授の小野博・福岡大客員教授(コミュニケーション科学)は「授業づくりの前提に、学習内容の差別をしないという平等主義があった。そのため、学校に習熟度別など効率的な英語取得法が取り入れられてこなかった」と指摘。その上で「社会情勢の変化により日本企業のアジア進出がさらに拡大したり、逆に移民を受け入れるなど、今後日本社会は変化を余儀なくされる可能性が高い。英語は必ず必要になる」と断言する。
 
■専門家は「能力や希望に応じた多様な学習の場を」と指摘

立教大は、平成28年度の一般入試から「英検」などの民間資格試験の活用を他大学に先駆けて決めた。塚本伸一副総長は「卒業生にその力量を身につけさせるためにも高度な英語教育は欠かせない」と話す。

立教大では平成20年、より実戦的な英語を学べる「異文化コミュニケーション学部」を新設すると、教養英語中心の文学部英米文学科の志願者が激減し、新設学部に人気が集中した。塚本副総長は「学生が求めていたものが教養としての英語ではなく、ツール(道具)としての英語だということが分かった」と語る。英語を遠いものと感じる生徒らがいる一方、英語を積極的に身につけたいと考える層も薄くはない。

塚本副総長は「高校進学率がほぼ100パーセントとなる中、(高校などの英語教育に)一律の基準を設けるのは無理があるのではないか」と疑問を呈する。

小野名誉教授は「外交官や通訳など高度な英語力が必要とされる人たちと、アジアへ向かうビジネスマンらとでは、求められる単語数や発音などは自ずと異なる。それぞれの能力や、将来の希望などに応じた多様な教育の枠組みを作っていくことが大切だ」と指摘している。

私は滅多にやらない全文転記を、今回あえてしたのは理由がある。全文読んだ上で、さて「「英語」は本当に必要なのか…大学関係者から漏れる“英語不要論”」という大見出しに適った部分はどこか? それを考えて欲しいからだ。



ま、やってくれる人は一人としていないだろうからさっさと結論を書く。この記事中には、“英語不要論”を口にした大学関係者は「全国公立短期大学協会副会長の中村慶久委員」だけ、それも「えらく遠い話のように感じる」という程度なのだ。これが「英語不要論」?

だいたい、短期大学、それも公立(すなわち県立・市立)とあってはグローバル化対応よりも地域活性化に資する人材育成が課題。その代表というべき協会副会長となれば、そらまあ「えらく遠い話のように感じる」と言うだろう。実際そのとおりなのだから。

12月2日に開催された、英検やTOEFLを大学入試に活用できるかどうかを検討する有識者会合……というのは、つまり↓これで、中村氏以外にも大学関係者は多数いる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/106/maibo/1353590.htm
にも関わらず公立短大協会の副会長の発言を選んで記事に盛り込んだのは、それくらいしか「英語不要論」という記事の方針に合致する発言がなかったからだ、と見ていい。

つまり、「「英語」は本当に必要なのか…大学関係者から漏れる“英語不要論”」という見出しありきの記事で、それに当てはまる発言を求めたものの、拾えたのはくだんの発言だけだった、という事情が透けて見えるのだ。

もちろん中村氏は大学関係者だし、「えらく遠い話」という発言はマァ何とか不要論と取れなくなくない?から、「大学関係者から漏れる“英語不要論”」は嘘ではない。嘘ではないが読者を騙す気まんまんで、その性根が実に醜い。