花咲くいろは#11

このアニメ、「もうちょっとだけ考えればもうちょっとマシになるのに」の「もうちょっと」が至る所で欠落している。
導入部からして超展開、それは緒花の「動機付け」の手際が悪いせいだ。

雑誌記事に対して怒る→
女将が「この話はここでお終い」→
それでも休みをとってまで雑誌社に行こうとする→
女将に「評価は自分達でなく他人様にしてもらうものだ。たとえ納得いかなかったとしてもきちんと受け入れ、それを糧にしなけりゃね」と諌められる

女将は二度も反対して、しかも言うことは全くの正論だ。それに従わずに殴り込みをかけるほどの強い動機が、この段階の緒花には無い。だからその行動に狂気さえ感じてしまう。
ていうか、後に非難の対象が単に雑誌社でなく母親へとスライドするんだから、この段階でそれを動機として与えてやりゃいいのに。
例えば入浴シーンに代えて、問題の旅行雑誌の奥付を見ていたら知った名前があることに気づいて……みたいなシーンを入れておけば、女将の反対を退けるほどの強い動機になるし、「東京に着いた後で「実は記事書いてたのは母親でした」とわかる」というご都合主義の印象も緩和できただろう。
緒花の母親もヒドかった。いや、人格もヒドいんだけどそういうことでなく、冷静に物語の構成として評価してもやっぱりおかしい。
「あんな誰かを傷つけるような仕事」と言われたとき、母親はヒドい仕事と認めつつ正当化しようとした。実際、「こんな仕事」の稼ぎで緒花は育てられてきた。だから中身がどうあれ、母親の仕事は緒花に対して絶対的に優位な存在だった……過去については。
しかし今は、夜逃げから帰ってきて仕事に戻ってるのに緒花を東京に戻すどころか連絡ひとつよこさないのだから、緒花が負い目を感じる理由にならない。少なくとも喜翠荘の記事は緒花の生活と無関係なのに、どうして言い負かされてしまうのか。
せめてあそこに「新居も落ち着いてきたし、どう? あんたも東京に戻ってこない?」くらいの台詞があれば印象も変わっただろうに(心情的には輪をかけて「身勝手な母親」ってことになったが、そのほうがむしろ演出として正しい)。
ていうかそもそも、「緒花にとって喜翠荘はどんな存在なのか」が母親から問われないことに消化不良感が強い。母親の視点に立って緒花をみた場合「なんであんたは喜翠荘のことでそこまでムキになるの?」てなもんでしょ。もっと深いとこまでいえば「そこまで喜翠荘が気に入ったんだ、私との生活よりあっちのほうが合うんだ」みたいな嫉妬とか寂しさがあってしかるべき。
そこを描かずに、ごく単純に娘とうまくいかない寂しさしか語られないから、この回の主題であるはずの「東京での生活と喜翠荘での生活との対照」が全くぼやけているのだ。
製作者と視聴者は、前回が「喜翠荘は既に緒花にとってかけがえのない居場所だと確認する話」なのに対して、今回は「東京(の生活の象徴である母親と孝ちゃん)は既に緒花から遠く離れた存在なのだと思い知らされる話」だとわかっている。
製作者は、わかっている。
それがなまじわかっているから、喜翠荘での緒花の奮闘を知らない母親の視点に立つことができなくなっているのではないか。
孝ちゃん絡みの展開のほうはまぁあんなもんかと思う。ラスト近く、「そこでなんで逃げ出すの緒花!?」と思わなくもないけど、恋愛ものならそういう不合理な行動も許容範囲だろう。ていうか正直どうでもいい。
まぁ、孝ちゃんが「俺この前湯乃鷺まで行ったんだぜ」とアピールしないのは、緒花に対する気持ちが弱くなっていることの現れなのか、それとも単に「ストーリー展開の都合」なのかは気になると言えば気になる。でもどうせ後者なんだろーな、と既に諦めてるから気にならないと言えば気にならない。
それにしても、ラストはご都合主義にもほどがある。なんでお前らがたまたま通りがかるんだ徹&みんち。出版社はたぶん新宿で、緒花はその後誰にも告げずに池袋に移動してるんだぞ。「緒花はうっかり位置確認が可能な仕事用のケータイを持ってきていた」とか、そんな理由付けでもあるのか?