記憶を賭けた神の戦い―神のみぞ知るセカイ#10

昨日に続き、サンデーは見捨てても神は見捨てないエントリ。「神のみぞ知るセカイ」FLAG10についてもう少し書いてみる。

桂馬の「自分に関する記憶を代償にして他人のために奮闘する」姿にデジャヴを感じていたが、あれだ、「仮面ライダー電王」のゼロノスだ。

ま、それはさておき。
――「アイドル」かのんの存在は、既にたくさんのファンの記憶に刻み込まれていた。桂馬に促されてかのんはそれを知り、受け入れる。ファンとの幸福な関係が結ばれたことでかのんは自己を確立し、透明化の危機を脱してついに「星(スター)」となった。
だがその時、直前までは「私…ひとりのためにずっと歌っても…よかったな…」とさえ慕われていた桂馬は、かのんの記憶から完全に消えてしまったのだ――。

「僕の彼女」か「みんなのアイドル」かの究極の選択、主人公とのクローズな関係では根本的な解決にならず、ファンたち皆が待つステージへと導くことでトゥルーエンドという展開は、別離も含めてまさにギャルゲー的な定型ストーリーではある。

しかしそのパターン化された物語に、「ヒロインを救ってエンディングに到達したら記憶は消滅」という基本設定と、「みんなに記憶されていない(と思い込んでいる)から透明化」というゲストキャラ設定が見事に噛み合った。

トゥルーエンドを選べば、主人公は単に身を引くだけでは済まない。交際の過去さえも無に帰してしまう。一方、その代償によってかつて「空気」扱いだったヒロインは自ら輝く「星」にまで昇華される――。こうして、この漫画独自の設定によってヒロインの輝きはひと際強くなり、その影たる主人公の孤独はより濃いものになったのである。

しかもこの際、従来の安全弁だった「3D女は嫌いだ」という態度が相当に軟化している。「君の」ではない「お…お前の歌… いいと思うぞ…」は本心からの言葉だろうし、エルシィが「現実のアイドルのこと見直したでしょ?」とからかうのも、何かしら傍目にわかる変化があってのことだろう。それだけに、切なさが一段と増している。

つまり日曜朝8時的にいうと、「♪まるで透明になったみたい」なところにキリヤ(2年後)が現れて、ゼロノスチケットで変身したので記憶が消えました、という話(全然違う!!)

いずれにせよ神にーさまの取り得は、最早かわいい顔だけではないとはいえるだろう。期待と不安を抱きつつ、「神のみぞ知るセカイ」の今後の展開に注目したい。



それと余計な話だが、これがトゥルーエンドであるなら、「ずっと私といて!!」イベントで「キスをする」を選択した場合のバッドエンドも回収したいところだ。単なるバッドエンドではなくそれなりにボリュームのあるダークエンドかも、という期待も含めて。そういう期待というか想像無しだとヤンデレ設定にあんまり意味無いし。