/「ガンダムX」試論(2)

大多数の視聴者はそれこそガロードの如く「ニュータイプ」なるモノに対して、格段のこだわりを無くしていた。あるいは、最初から持っていなかった。一方には、各勢力のお偉方のように頑迷にニュータイプを求めつづける視聴者も(予想以上にたくさん)いて、彼らは作品に反感を抱くことになる(蛇足ながらフロスト兄弟は宇宙世紀ではないというだけでガンダムと認められなかった」G・W・Xに相当するのだろう)。
このように、作品を取り巻く状況が「X」という作品には内包されており、メタフィクションに並々ならぬ意欲を示す高松監督の面目躍如だったのだが……。その構造を俯瞰するにもまたD.O.M.E.に近い視点、「ファーストの呪縛」を前提にしたある種の達観が要求されたようだ。監督にとってガロードはあくまで見守る対象であり後事を託す者であって、共に走る者ではなかったがために、ガロードの視点からでは全体像の面白さを充分に味わえないのである。(続く)